あおもり昆虫記
マメコバチ

 マメコバチは、特殊な虫だ、と思う。人間の役に立っているから特殊なのではない。全国的に人間の役に立っているのならミツバチが数段上だ。途中で呼び名が変わっているのが特殊なのだ。虫の世界では本当に珍しいことだ。

 いまでこそマメコバチの名は青森県内に広く知れ渡っているが、以前はコツノツツハナバチ(小角筒花蜂)と呼ばれていた、なんて誰も知らないだろう。わたしもずっと知らなかった。

 では、マメコバチにはどんな漢字を当てるのだろうか。以前、わたしはこの質問をするのを秘かな楽しみにしていた。答える人の100%は「豆小蜂」と言う。でもこれは外れ。正解は「豆粉蜂」。ウッソーと驚く人が多いが、この答は、かつてリンゴ栽培の指導者としてならした元青森県農林部職員の桜庭保夫さんから聞いたから間違いない。

 マメコバチがリンゴの花を訪れるのに初めて着目したのは、青森県北津軽郡鶴田町胡桃館の松山栄久さんで、昭和15年ごろのことだった。茅茸屋根の茅にハチが巣を作ることを応用して、松山さんはハチの飼養を始めた。そして、青森県内にマメコバチを普及させたのは南津軽郡藤崎町の在野の研究者竹嶋儀助さんだった。

 一方、腕白少年たちは茅を割って花粉ダンゴ(幼虫の餌)をおやつ代わりに食べていた。これは、雌バチが腹の毛に付けて運んだ花粉と花の蜜を混ぜて団子状にしたものだ。色といい形といいキナコダンゴそっくり。自然にこのハチは、キナコを意味する「豆粉」(マメコ)と呼ばれるようになった。ある年、浪岡町樽沢のリンゴ園で知人がマメコバチの巣である茅を割って見せてくれたが、「確かにキナコだ、そっくりだ」とわたしはうなってしまった。

 マメコバチという津軽地方での俗称を正式な和名に格上げさせたのは九州大学の平嶋義宏さんだった。1963年の日本昆虫学会の席上「このハチは青森県に一番多く、しかも地元ではマメコバチと呼んでいるので、そのように呼び名を変えたらどうだろうか」と提唱した。大方の学者が賛成し以来、マメコバチは正式和名となった。が、へそ曲りが多い学者の世界、今もってコツノツツハナバチという長ったらしい名を使い続けている学者もいるという。

 いま、マメコバチは、かつて農家にとって辛い作業だったリンゴの人工授粉を農家に代わってやってくれている。最初、農家はハチの能力に疑問を持っていたが、その受粉能力を認め、ほどなくほとんどのリンゴ農家がマメコバチを飼養し利用するようになった。辛い受粉作業がハチに任せるようになったことで、農家は労力的に本当に助かったと思う。その感謝をあらわすため、青森県北津軽郡板柳町では毎年、マメコバチ感謝祭を催している。

>>写真はこちら

ハナバチの仲間 | あおもり昆虫記インデックス

HOME