第72回東奥賞

 東奥日報社が文化、芸術、産業など各分野で傑出した業績を上げた個人・団体を顕彰する第72回東奥賞の受賞者が決まった。世界的指揮者の登竜門・仏ブザンソン国際若手指揮者コンクール1位の沖澤(おきさわ)のどかさん(32)=青森市出身、「氷温」に着目し、食品鮮度を長期間維持できる貯蔵庫開発で農水産物の高付加価値化に貢献している大青(たいせい)工業株式会社(青森市)、「劇的救命」のキャッチフレーズの下、本県救命医療の底上げで成果を上げている八戸市立市民病院、鉄道事業を通じ地域住民の暮らしを支え、ストーブ列車など各種イベント列車で本県観光振興に貢献している津軽鉄道株式会社(五所川原市)の1個人、3団体に贈る。贈呈式は12月7日、青森市のホテル青森で行う。

▼全身からあふれる音楽/仏ブザンソン国際若手指揮者コンクール1位 沖澤のどかさん(青森出身)
▼県産自慢の味 品質守る/氷温貯蔵を確立 大青工業株式会社(青森)
▼不可能に挑み「劇的救命」/本県救命医療を先導 八戸市立市民病院
▼地域の足、観光資源に/開業90周年迎える 津軽鉄道株式会社(五所川原)


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ブザンソン国際若手指揮者コンクールの決勝で指揮を終えた沖澤のどかさん=9月、フランス・ブザンソン

温和で自然体 人を引き付ける/県教育庁学校教育課主任指導主事/下山敦史さん
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 私が吹奏楽部の顧問をしていた青森東高校時代、海外短期留学がきっかけで、本当に自分がやりたいことにチャレンジしようと決めた沖澤さん。指揮は「簡単そうだと思って始めた」というのも、笑いを誘うような沖澤さんらしいエピソードです。困難な時期を乗り越えながら、この素晴らしい成果を得るまでには、並々ならぬ努力を重ねたことと思います。多くの人たちに、夢に向かって努力する勇気を与えてくれました。

 ダイナミックな指揮と豊かな表情、緻密な音楽づくりが圧倒的な空気感を生み出していると評されています。温和でいつも自然体なところも、聴衆のみならずオーケストラの気持ちを引き付ける大きな魅力だと思います。指導を受けたリッカルド・ムーティ氏の言葉「Be yourself(自分らしく)」を胸に、今後どのような音楽を奏でてくれるのか、楽しみにしています。

全身からあふれる音楽/仏ブザンソン国際若手指揮者コンクール1位 沖澤のどかさん(青森出身)

 寄せ来る音の波、強まる響き-。タクトを振る身長155センチの体全体から音楽があふれ出し、オーケストラと一体になっていた。「ブラボー!」。会場は高揚感に包まれ、称賛の拍手と歓声が送られた。

 9月、小澤征爾さんらを輩出したフランスの「ブザンソン国際若手指揮者コンクール」で優勝を果たした。日本人として10人目。観客賞とオーケストラ賞も総なめする快挙だった。

 三沢市で生まれ、青森市で育った。4歳からピアノを始め、チェロを趣味とする伯父の影響で姉と共に9歳からチェロも学んだ。家庭にあふれていた音楽と、小学5年から高校まで所属した青森ジュニアオーケストラでの経験が「私の音楽の原点」と語る。

 青森東高校では吹奏楽部でオーボエを担当した。2年の時、オーストラリアに語学留学したのを契機に、音楽の道へ進むことを決意。超難関の東京芸術大学指揮科に現役合格した。

 だが、指揮者への道は険しかった。「大学では、才能がないから辞めた方がいいと言われ続けた」。3年の時には半年間休学もした。「もう辞めようか」と思った時、学外で指導を受けていた指揮者の下野竜也さんだけが「すごく才能がある。もう少し頑張って」と背中を押してくれた。その言葉を信じて、再び歩きだした。

 東京芸大大学院、ドイツ留学を経て、2018年10月、「東京国際音楽コンクール<指揮>」で女性初の1位に輝いた。さらに今年のブザンソン優勝で、世界的指揮者としてのスタートラインに立った。

 「今後は世界のオーケストラと経験を積みたい」と話す。「一回一回の演奏で、その瞬間に生きている音楽、音を大事にしたい。音楽を通して、心が動く瞬間を共有できたらいい」



社内の実験用貯蔵庫を紹介する鳴瀬社長(左)と服部会長

温度・鮮度管理は世界レベル/氷温協会(鳥取県)理事長 山根昭彦さん
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 氷温技術は1970年に鳥取県の特産品、二十世紀梨の貯蔵から生まれました。「全国に貢献できる技術。一緒に普及しよう」とリンゴで同様の研究をされていた大青工業が当協会に入会したのが93年です。

 氷温技術に必要なのはハードとソフト。大青工業は精緻な温度コントロールができるハードを作り上げる力があり、農作物を中心とした食品の鮮度管理技術というソフトも持っています。この二つが合致している大青工業の右に出る者は当協会にはいません。世界最高水準と言っても過言ではないと思います。

 大青工業の氷温庫はインドネシアでコーヒー豆の熟成にも使われています。さらに技術を飛躍させ、日本全国や世界でご活躍いただきたい。また、微妙な温度コントロール技術は医学の世界でも貢献できると思います。今後のご発展をお祈りします。

県産自慢の味 品質守る/氷温貯蔵を確立 大青工業株式会社(青森)

 「周年出荷ができなくなる」-。2002年、ニンニクの萌芽(ほうが)抑制剤が一斉に販売中止となり、生産量日本一を誇る本県のニンニク産地に衝撃が走った。このピンチを救ったのは、大青工業が当時持っていた乾熱処理や氷温貯蔵の技術だった。県などと研究を重ね、薬剤を使わず品質を保つ方法を短期間で確立した。

 氷温とは、零下から凍る間際ぎりぎりの温度域のこと。「寒干し」「寒仕込み」など雪国の生活の知恵として氷温の原理は古くから利用されてきたが、同社は高度な温度管理技術で食品鮮度を長期間保ち、熟成させてうま味も引き出す貯蔵庫を開発している。

 前身の冷蔵設備工事業「大青鉄工所」の創業は1948年。「冷蔵機器以外は一から部品を作り上げていたという」と服部國彦会長(73)は語る。以来、リンゴの周年販売をはじめ農産品の高付加価値化に貢献してきた。

 氷温技術は失敗から生まれた。30年以上前、誤って冷蔵庫のリンゴを凍らせてしまったが、食べてみると甘みが増していたという。約20年前に氷温貯蔵庫を実用化し、今では九州のミカンや沖縄のパイナップルの長期保存など、遠方からの依頼も舞い込む。

 顧客ごとに要求は異なり、農作物の特性も違う。服部会長は「納入して終わり、ではなく、顧客が求める成果が出たのか検証が必要。機器の調整や設計をやり直すこともある。大変だが、これが21世紀に求められる仕事だと思う」。

 2017年に創業家の服部会長から社長を引き継いだ鳴瀬正彦さん(56)は「大きい市場を狙うのではなく、お客さまに必要とされる物を開発し、地域に貢献していく。この目標は、部品を一から手作りした創業時の精神と何ら変わっていない」と強調した。



八戸市立市民病院救急救命センターのドクターら(同病院提供)

地域救急 東北のモデルに/前自治医科大学学長、前日本医学会会長地域医療振興協会会長 高久史麿さん
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 今明秀院長は地域の医師を養成してきた自治医大を1986年に卒業した6期生です。岩手一関の藤沢病院は地域医療で評価が高いですが、その病院管理者の佐藤元美院長も本学卒業生です。八戸市民病院救命救急センターが20年間近く取り組んできた救急医療は東北の地域医療の歴史と、救命最先端の試みが上手に合体した成果と言えます。現場へ医者を運ぶドクターヘリ基地局を県内で最初に確立して、ドクターカーと表裏となった救急システムを確立しました。この並列した仕組みを有する地域は数えるほどです。

 教育的な救急医療のプログラムで市民病院は臨床研修の全国レベルのブランドです。そこで訓練された研修医たちが八戸の救急を支えるだけなく全国各地で活躍しているのも大きな成果のひとつです。三浦一章前院長(現管理者)はじめ全病院が一丸となって応援して実現した地域救急は東北地方におけるモデルとなると信じます。

不可能に挑み「劇的救命」/本県救命医療を先導 八戸市立市民病院

 「劇的救命」をキャッチフレーズに、本県の救命医療を先導してきた八戸市立市民病院。近年はドキュメンタリー番組で取り上げられるなど、全国から大きな注目を集めている。2009年のドクターヘリ導入から10年。ヘリがなければ亡くなっていたと考えられる「劇的救命」は100件以上を数える。

 救命救急センター前所長で、ドクターヘリ導入に尽力した今明秀院長は「10年前は普通ではなかったドクターヘリも、10年たった今は定着している。県の医療の歯車になっていると思うとうれしい」と語る。

 ドクターヘリ導入当初、予想していた年間出動件数は300件だったが、実際の出動は約500件にも上る。医師や看護師を乗せ、県内では大間、深浦をはじめ、広域連携を結ぶ岩手県、秋田県まで広い範囲で活躍し、多くの命を救ってきた。

 同病院はドクターヘリに続いて、10年にドクターカーを導入した。年間1500件を超える出動は日本トップクラスを誇る。医師がいち早く現場に到着して処置を開始するため、ヘリとドクターカーを同時に現場に向かわせる「サンダーバード作戦」も展開している。

 また、ドクターヘリが飛ぶことができない夜間などは移動型緊急手術室「ドクターカーV3」が活躍。これは16年に、全国に先駆けて導入した。

 今院長は「誰もが不可能だと諦めること、現状のままでいいと思っていることを変えていく、それができるような気がする」と語る。その熱い思いに呼応するように、医師や看護師不足と言われる中、同病院には全国から若手医師や看護師が集まっており、人材育成の面からも本県の医療に大きな成果をもたらしている。



暮らしの足や観光資源として沿線地域を支える津軽鉄道=11月17日、「ハイボール列車」

イベント列車で価値高く/五所川原市長 佐々木孝昌さん
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 津軽鉄道は、商都として栄えた五所川原の象徴的存在。沿線に金木、中里という1次産業の拠点があり、津軽鉄道によってコメや野菜、木材などが五所川原に運ばれ、そこから各地に送られた。道路網が整備される前は、冬季の荒天により交通が途絶えることがあった。そんな時、運行できた津軽鉄道はまさに住民の暮らしを支える足だった。自動車輸送の広がりにより、乗客数は減少に転じ貨物営業も廃止となった。厳しい経営環境の中で、ストーブ列車などのユニークなイベント列車を運行し、地域の公共交通としてのみならず、観光資源としての価値を高めていった。

 来年は東京五輪が開かれ、津軽鉄道にとっては全線開業90周年を迎える。東奥賞受賞を機に津軽鉄道の取り組みが鉄道ファンだけでなく広く県民に発信され、経営基盤強化につながることを期待する。

地域の足、観光資源に/開業90周年迎える 津軽鉄道株式会社(五所川原)

 津軽半島北部の五所川原市と中泊町間20.7キロを結ぶ民営鉄道として1930年11月の全線開業以来、沿線住民の暮らしを支え、地域振興に貢献してきた。2017年9月に累計乗客数が1億人を突破、20年11月には開業90周年を迎える。

 自家用車の普及や沿線地域の人口減少により、乗客数は1974年の256万6千人をピークに減少傾向が続く。経営環境が厳しさを増す中で、澤田長二郎(ちょうにろう)社長(79)は「だからこそ病院に通う高齢者や高校生の通学の足を守らなければならない」と公共交通としての責務を強調する。

 近年は交通手段の利用だけでなく、観光資源としての役割も増している。今や津軽の冬の風物詩として定着した「ストーブ列車」は訪日外国人客の人気が高く、数少ない本県冬季観光の目玉商品の一つだ。

 さらに列車や施設の魅力を生かしたイベント列車が人気を集める。今年8月の五所川原立佞武多(たちねぷた)では、開幕に合わせて「夜行列車」で一晩を過ごすツアーを企画した。旅行会社を通じて販売したところ、開始から2時間ほどで完売した。

 これらの取り組みを津軽鉄道サポーターズクラブや津鉄応援直売会をはじめ多くの市民、鉄道ファンが支えている。逆に住民が津軽鉄道の列車、施設を地域の活動、活性化に利用する動きも広がる。

 同市の飯詰を元気にする会は、津軽鉄道などの協力を得て津軽飯詰駅に古い鉄道用品を展示した「ミニ博物館」を開設、月に1度公開するとともにイベントを開いている。津軽中里駅でも毎月第1土曜日にイベントを行っている。

 開業90年の節目の年に向け澤田社長は「市民、鉄道ファンと新たな魅力を発掘、発信し、これから10年先、20年先も地域と共に歩んでいきたい」と話す。