第71回東奥賞

 東奥日報社が文化、芸術、産業など各分野で傑出した業績を上げた個人・団体を顕彰する第71回東奥賞の受賞者が決まった。小説「送り火」で芥川賞を受賞した作家の高橋弘希さん(38歳、十和田市出身)、青森県の「短命県返上」に向け尽力している弘前大学大学院医学研究科特任教授の中路重之さん(67歳、長崎県出身)、南極や北極での生物研究で大きな成果を上げている国立極地研究所助教の田邊優貴子さん(39歳、青森市出身)、「えんぶり」の保存継承・振興に貢献する八戸地方えんぶり保存振興会(塚原隆市会長)の3個人1団体に贈る。贈呈式は12月1日、青森市の青森国際ホテルで行う。

▼リアルに 描き切る才/芥川賞受賞 高橋弘希さん
▼短命県返上へ尽力/弘前大学大学院特任教授 中路重之さん
▼「不思議」が原動力/南極・北極で生物研究 田邊優貴子さん
▼春呼ぶ舞 守り伝える/八戸地方えんぶり保存振興会


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芥川賞贈呈式で独特の間合いを取りながらあいさつする高橋さん=8月、東京都内のホテル

県近代文学館室長 伊藤文一さんより
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 的確な表現を、淡々と、緻密に刻んでいく高橋弘希さんの文章は、読者をあっという間に作品世界に引き入れてしまいます。鮮やかな風景、川のせせらぎ、真夏の暑さ、立ち上る土の匂い、したたり落ちる汗の感覚、はては肉体に加えられた衝撃に一瞬遅れて訪れる激痛をリアルに感じさせるのです。

 「指の骨」で新潮新人賞を受賞した際、「音のない音、形のない形、心のない心、言葉では書き下せない対象を物語で括(くく)って“言葉”に落とし込む事は出来(でき)るだろうか」と述べておられますが、一貫してこの境地を追求されているようにも思われます。

 今後どのような世界をわれわれに見せ、感じさせてくださるか。高橋さんのご活躍を期待しています。

リアルに 描き切る才/芥川賞受賞 高橋弘希さん

 公の場で余計な感情を表に出そうとしないのは北国の血を引いているからだろうか。芥川賞受賞決定直後の記者会見では、ややうつむき気味に登場し、直木賞受賞者・島本理生さんとの写真撮影でも、淡々とした表情を崩さなかった。自身の作品についても多くを語らず、「読み手の判断に任せる」との立場を貫く。

 父親が黒石市、母親が十和田市出身。親の仕事の関係で関東地方を転々として育ったが、小中高時代の夏休みには毎年のように本県を訪れた。芥川賞受賞作「送り火」は黒石市が主な舞台となっており、大川原の火流しや津軽弁などのご当地ネタが数多く登場。ここ最近、小説の舞台となることが少なかった本県の文学ファンを喜ばせた。

 ロックやヘビーメタルなどの音楽を愛し、過去にはバンドを組んでCDを発表したことも。さらには本気で漫画家を目指した時期もあったが、「プロになれるほど絵がうまくなかった」という。ほかにも、映画や将棋などに興味を持ち、小説家としての創作の土壌になっていった。

 太平洋戦争末期、南方で負傷した若い日本兵の目線で戦地を描いたデビュー作「指の骨」(2015年、新潮社刊)は、リアリティーあふれる圧倒的な描写が文壇の注目を浴び、作家の桐野夏生さんから「戦争を知らない世代でも『戦争』を書ける」と評される。

 その後の作品も文壇の評価は高く、「指の骨」から「送り火」までの4年間で4回芥川賞にノミネート。「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」(17年、講談社刊)では、若者たちの心の闇や自死という現代的テーマを、独特の視点と淡々とした筆致で描き、野間文芸新人賞を受賞した。

 本県の影響について「感触や視覚、匂いを細かく表現できるのは、自然の中で目いっぱい遊んだ経験があったから」と語ったことがある。芥川賞贈呈式後の本紙取材には、今後本県を舞台に作品を書く可能性について「小説として書くことは多分ない。今回(「送り火」)でほとんど書いてしまったので」と述べたが、「何度でも書いてほしい」と願う県民は多いだろう。



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高齢者健康調査で参加者に趣旨を説明する中路さん=6月、岩木文化センターあそべーる

県医師会長 齊藤勝さんより
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 中路先生は、長年にわたり青森県の短命県返上のためにご尽力されてきました。産官学民挙げた弘前大学における岩木健康増進プロジェクトでは、2千項目にわたる健康ビッグデータを解析することにより、認知症、生活習慣病などの早期発見を可能とし、高齢者の健康寿命延伸を目指しております。

 青森県医師会では2015年4月に短命県返上の拠点として「健やか力推進センター」を開設。中路先生にセンター長にご就任いただき、2千人を超える「健康リーダー」を育成し、短命県返上に向けて「人づくり」を推進していただいております。

 中路先生には今後も中心的な役割を担っていただき、県民のヘルスリテラシー向上のため、産官学民を巻き込んだ県下全域にわたるご活躍を期待します。

短命県返上へ尽力/弘前大学大学院特任教授 中路重之さん

 「短命県を本当に返上したいんだよ、何とかしたい。この素晴らしい郷里が短命県でいいはずがないんだ」。短命県返上のこととなると、言葉に自然と熱がこもる。

 生まれは長崎県諫早市。21歳で弘前大学医学部に入学して以来、本県で過ごした年数の方が長くなった。学生時代から公衆衛生に関心があり、当時の教授からは旧厚生省に勤めてはどうかと勧められたというが、本県の健康づくりに取り組むと決めていた。一方、「健康な人」に健康づくりを説くことの難しさも知っている。「自分は青森に育ててもらったし、青森が好き。好きじゃないとやれないでしょ」と笑う。

 弘大社会医学講座の教授だった2005年、岩木町(現弘前市岩木地区)の住民を対象に大規模健康調査「岩木健康増進プロジェクト」をスタートさせた。「短命県の汚名を返上したいと長年思っていたが、何をやればいいのか分からなかった」。だからこそまずやってみよう、やってみれば答えが出るかも-そんな思いだったと振り返る。

 健康は複数要因から成るとして、健康状態、生活習慣、家族構成など膨大な調査項目を設定。14年間で延べ2万人以上のビッグデータが集まり、多くの健康情報を長期にわたって蓄積した世界に類のない研究となっている。13年には、このデータを活用した研究開発プロジェクトが国の「センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム」に採択された。ヘルスケアや食品分野などの大手企業も続々参画、短命県返上を目指す動きが全国の注目を集めるきっかけとなった。

 「短命県返上には産学官民の連携が不可欠」と語る。県民一人一人が健康に関する正しい知識を身につけることが大事だと、本紙など各種メディアを通した情報発信も粘り強く続ける。健康診断の結果に基づいた健康教育を行う「啓発型健診」の事業化も進む。

 自身の健康対策を聞くと、「毎日は飲酒しないこと、喫煙しないことくらい」。そして、こう付け加えた。「短命県返上という生きがいをもらっていることも大きいんだ」



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南極大陸で越冬中、湖に調査に赴いた田邊さん=2017年9月(本人提供)

国立極地研究所長 中村卓司さんより
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 海外の学会にいくと女性研究者の多さに驚く。日本も女性研究者を増やす努力をしているが、そもそも女子学生が少ない学問分野だと改善には時間がかかる。

 田邊さんは極域科学の女性研究者として存在感を発揮している人だ。極地のフィールドに赴き、体力の限界に挑みつつ研究成果を上げるだけでも大変なことであるが、その現場での感動を自ら撮影した写真や自然な文章で発信してくれる素晴らしい才能の持ち主だ。

 研究をしていると何かしら感動に包まれる場面に遭遇する。しかし多くの科学者がそれを十分に情報発信していないことが、日本国内で研究者を目指す若者を増やせていない理由かもしれない。

 その意味で田邊さんの活動は貴重である。田邊さんの世界に共感し、自分のやりたいものに打ち込み、研究者を目指す若者が一人でも多く現れれば。青森からはもちろん全国の女性が田邊さんに続いてくれたら。将来の日本は女性研究者で賑(にぎ)わうことになるだろう。

 田邊さん、受賞おめでとう。これからもご活躍を期待しています。

「不思議」が原動力/南極・北極で生物研究 田邊優貴子さん

 生まれ育ったのは青森市の郊外。身の回りに自然があふれていた。学校近くの川でメダカを捕ったり、野に咲く花を違う場所に植え替えてみたり。いつの間にか興味が自然へと向いていた。獣医師の祖父の本棚から世界遺産の本を引っ張り出し、科学雑誌「ニュートン」に目を通した。

 大学進学後は、まだ見ぬ場所に行くという衝動に突き動かされた。ペルー、チベット、エチオピア…。アルバイトでお金をためてはバックパックを背負い、世界中に出掛けた。

 京都大大学院時代、2度目のアラスカへ。ある日、キャンプ中のテントから顔を出すと、一面緑だった景色が1日で黄色に変わり、次の日には真っ赤に紅葉していた。

 極地ならではの環境の劇的な変化に驚き、命がきらめく瞬間に触れた気がした。その時、「極地に生きる生き物の研究がしたいと思った」。2006年、国立極地研究所(東京)の大学院に当たる総合研究大学院大学極域科学専攻に編入した。

 07年、第49次南極観測隊で初めて南極へ。以来南極、北極ともに計7回、調査に赴いた。16年11月~今年3月は、過酷な南極越冬隊も初体験した。

 ライフワークは南極の湖底に生きる植物の調査。南極の湖水は微生物がほとんど生息しておらず、透明度が非常に高い。しかし湖底は、コケや世界最古の光合成生物とされるシアノバクテリアが集まって円錐(えんすい)形となった「コケボウズ」で埋め尽くされている。

 「微生物がいないから栄養がほとんどないはずなのに、湖底一面、ふさふさした植物が群集している。すごく不思議だな、と」

 これらの調査・分析を進めるうち、生態系の始まりと進化が徐々に分かってきた。「原始地球も、小さな微生物から始まって、だんだん植生が分厚くなり、生態系がはぐくまれた。南極を見ると、原始地球を見ていることになる。これが南極研究の面白いところ」

 今後もできる限り現場に赴くつもりだ。「何だろう、不思議だな、と思う気持ちが自分の原動力。常に新鮮な気持ちで自然科学の謎に迫り、探究を続けたい」



長者山新羅神社でえんぶりの「摺り」を奉納する太夫=2月

八戸市長 小林眞さんより
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 八戸えんぶりは、子供から大人まで幅広い世代により行われる舞が、極寒の中で春を待つみちのくの人々の切なる願いを感じさせ、訪れる多くの市民や観光客に感動を与えています。

 八戸地方えんぶり保存振興会の東奥賞受賞は、日ごろの活動が実を結んだものとうれしく思っています。市民とともにお祝い申し上げます。

 八戸市内では、一昨年の八戸三社大祭のユネスコ無形文化遺産登録を契機として、郷土の祭りや民俗芸能に対する関心が高まってきています。こうした機運をえんぶりの振興につなげていくため、来年からえんぶり初日の2月17日を「えんぶりの日」と定め、学校休業日とします。児童生徒や保護者がえんぶりに参加しやすい環境づくりを支援して、郷土に対する誇りと愛着を育むきっかけにしたいと考えています。

春呼ぶ舞 守り伝える/八戸地方えんぶり保存振興会

 八戸市や周辺地域から約30の「えんぶり組」が同市の長者山新羅神社に集う。きらびやかな烏帽子(えぼし)を身に着けた太夫たちが、「摺(す)り」と呼ばれる舞をささげ、豊作を祈る。やがて街なかに囃子(はやし)の音が響き、子どもたちがえびす舞、大黒舞などの祝福芸を演じ始める。地区に伝わる舞を受け継ぐ人々の熱演が、いてついた地に春を呼び込む。

 豊年予祝の民俗芸能・えんぶりが1979年、県内で初めて国重要無形民俗文化財に指定されてから、2019年で40年。各えんぶり組や関係する自治体、団体などでつくる「八戸地方えんぶり保存振興会」は毎年2月17日から20日までの「八戸えんぶり」を主催し、えんぶりの魅力を多くの人に伝えている。

 市中心街で全えんぶり組が舞う「一斉摺り」のほか、当時の有力者の庭園で演じられたえんぶりの風情を再現した「お庭えんぶり」など、趣向を凝らした演出は観光客の人気を集める。18年の入り込み数は29万3千人となった。

 同振興会の塚原隆市会長(八戸観光コンベンション協会会長)は「数少ない『冬の祭り』として、八戸に来たビジネスマンに、観光でもう一度足を運んでもらう仕組みを整えたい」として、受賞を機に、ホテルや飲食店と連携してPRを進める考えを示す。

 自治体も振興に向け力を入れる。同市などはえんぶりの調査・記録事業を19年度から6年間かけて実施するため、準備を進めている。地域がえんぶりの魅力を再確認できるよう、調査報告会の開催や、児童向け副読本の制作などを並行して行っていく方針。

 各えんぶり組でつくる「八戸地方えんぶり連合協議会」の大館恒夫会長(同振興会副会長)は、「3歳の子どもから80代まで参加でき、演じる方も観客も寒さを忘れる。そこにえんぶりの良さがある」と話す。夏に吹く冷たい風「やませ」の影響で、たびたび凶作に見舞われてきた八戸地方の歴史を踏まえ「先人がえんぶりに託した思いを、後世に伝える役目がある」と決意を語る。