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菅原道真公を祭り、住民の心のよりどころとなっている弘前天満宮=地図(1)

 街道脇に延びる枝道から「長勝寺構」と呼ばれる、藩政時代の土塁に開けられた狭いトンネルをくぐり弘前天満宮の境内に入った。祭神・菅原道真公の御神前で手を合わせ、境内から岩木山を眺めていると心が安らぐ。宮司の宇庭昭憲さんによると、天満宮には津軽ダム建設に伴って西目屋村砂子瀬の稲荷神社が合祀(ごうし)されており、同村からの参拝者も多いという。春には敷地内に咲くソメイヨシノや、推定樹齢500年以上で本県最古とされる枝垂(しだ)れ桜が市民の心を引きつける。

▼2592歩
飢饉の犠牲となった子どもたちの地蔵を前に「今にはない『何か』を感じ取っていただければ」と話す小笠原住職=地図(2)

 禅林街へと続く交差点に出ると、彼岸の墓参りに訪れた人たちとすれ違う。赤門をくぐり、宗徳寺に突き当たる閑静な通りを経て津軽家由縁の長勝寺に続く表通りへ。道中に出会った近隣住民から蘭庭院を紹介された。

 同院は17世紀後半に起きた天明の飢饉(ききん)などの犠牲者を弔う栄螺(さざえ)堂(俗称、六角堂)を管理している。同院の小笠原寛昌住職に連れられ、栄螺堂の中を拝観した。「死者が再び生まれ変わることを願い、サザエの中のようにらせん状に作られている」と住職。内部に無数に安置された、古く小さな地蔵が当時の惨状を語りかけてくるように思われた。今の豊かな本県は、藩政期に幾度も味わった飢饉の犠牲の上に成り立っている。正面の聖観音菩薩に合掌し、禅林街を後にした。

▼3308歩
朝早くから一人で鉄を打ち、汗を流す三國さん=地図(3)

 彼岸で忙しそうな生花店を見ながら、創業300年以上の老舗鍛冶屋「三國打刃物店」を訪ねた。リンゴ産業を支える伝統的な鍛造技術で作り上げたリンゴの剪定(せんてい)ばさみは、1日で1本作れるかどうか。5代目の三國徹さん(53)は「一つとして同じ物がないのが売り。修理して長く使えるので、道具は大事にしてほしい」と話した。愛用するリンゴ農家も「研ぎ直しが利く」と太鼓判を押した。

▼3680歩
リンゴが真っ赤に色づくのを心待ちにする朝陽小の児童たち=地図(4)

 児童の歓声が耳に入り、街道を横断して朝陽小学校に足を運ぶ。同小校庭では戦前に日本人が朝鮮半島で栽培した希少品種のリンゴで校名と同じ「朝陽」を児童が育てている。3年の澤田芯平君は「自分たちで育てるリンゴはおいしい」、同じく成田侑愛(ゆあ)さんは「酸味があるからジャムにして食べたいな」と話し、収穫が待ち遠しそうに色づき始めたリンゴを見つめていた。

▼4324歩
「『また来るね』という言葉がうれしい。大衆的な店なので、どなたでも来てほしい」と話す清水さん=地図(5)

 空腹を覚えて立ち寄ったそば専門店「そば処清水」でエビの天ぷらやカイワレ菜入りの「海彦そば」を「いただきまーす」。この道35年の清水一仁(くにひと)店主(64)が手打ちする上品で香り高いそばがスルリと喉を滑り落ちる。思わずおかわり。味だけでなく、そのボリュームで市民の胃袋を満たしてきたのだろう。この春に関西から就職したばかりで、食べ盛りな記者もすっかりとりこになってしまった。

 店を出ると夕暮れ、朱色に染まる岩木山が西にたたずんでいた。キンモクセイが香る秋の風を頬に感じて帰途に就いた。