「ハイカラなものを好む傾向があった太宰。ワインはその象徴の一つでもあると思う」と話す濱野さん=東京・阿佐谷

 「太宰治には、代表作の『津軽』などワインが出てくる描写が少なくない。大正から昭和初期の、都会でもワインが珍しかった頃なのに。太宰とワインの関係を解き明かしたいと思った」。東京のワイン研究家・濱野吉秀さんは、青森県まで3度も足を延ばすなど取材や調査を重ねた。その成果を一冊にまとめ、来年早々に出版予定という。

 4年に及ぶ研究で浮かんできたのはワインと弘前、太宰の意外な関係だった。「弘前では明治初期からブドウとワインの生産が行われ、日本のワイン史で一、二の古さ。弘前は国産ワイン発祥の地の一つといえる。さらにこの醸造元・藤田葡萄園は太宰と深い関係にあったことが分かった」

 鍵は1987年出版の本「弘前・藤田葡萄園」だった。筆者は同葡萄園を開きワイン醸造を始めた6代目藤田半左衛門の孫・本太郎。同書などに基づき取材を進めると、江戸時代からの造り酒屋だった藤田家は明治になるとブドウ栽培とワイン醸造を始め、半左衛門の子で本太郎の父の豊三郎が受け継いだことが分かった。豊三郎の妻は太宰の実家・津島家の出。太宰は旧制弘前高校時代、豊三郎の家に寄宿していた。「太宰とワインの関係が見えてきた。若き太宰は豊三郎の知性や熱意に強く感化されていたようだ」

 しかし太宰は寄宿中、心中未遂や自殺未遂の騒ぎを起こした。「藤田家に迷惑を掛けたことを母に切々と諭され、太宰は寄宿時代の3年間を胸の奥に封印したのではないか」。濱野さんはそうみている。「太宰作品に藤田家に関する記述はないようだが、ワインに関する描写は少なくない。太宰の藤田家への強い思いがにじみ出ているのでは」

 調査行を重ねるなど濱野さんの地道な取材手法は、大学中退後に飛び込んだ報道の世界で身に付けた。海事系や財政系の専門紙で腕を磨いた。「キューバ危機(1962年、米国と旧ソ連の深刻な対立で核戦争の緊張が高まった事案)につながる記事をスクープしたことも」。その後は報道から離れ、厳しい食糧事情だったアジアなどで食の開発や農業支援の仕事に就く。やがて各国と日本のワインを研究するようになった。

 「太宰には人間への深い愛がある」と濱野さん。藤田家にも太宰は愛着を感じていたと考えるが、太宰の評論などでは弘前時代が実りのない時代とされていることに違和感を持つ。豊三郎と藤田家への憧れ、死を考えた挫折、母の愛あふれる説諭-。「弘前の日々は太宰の人生を凝縮したようだ。彼にとって実り多く、ちっとも暗くない3年間だったと知ってほしい」

 濱野さんは11月7日午後2時から東京・杉並区のよみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)で公開講座「太宰治とワイン」を行う。

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 <はまの・よしひで 1937年東京都出身。ワイン研究家。東京農業大学中退後、経済系業界新聞記者を経てアジアの食品開発に従事。ワイン研究の著書・受賞多数。日本健康ワイン&フーズ協会会長。中国・西北農林科技大学葡萄酒学院名誉教授。理学博士>