「ダンスは自己表現。その後押しをしたい」と話すKIMIさん=行きつけの店「坂ノ上ノ青森」(東京・代々木上原)で
生徒たちとポーズを決めるKIMIさん(右から3人目)=本人提供

 ダンサー・インストラクターとして都内で活動するKIMIさん(47)=田子町出身。ステージで華麗な舞を披露する機会はコロナ禍のせいで少なくなったというが、スタジオなどで生徒にジャズダンスやハウス系、ベリーダンスなど幅広く教えている。最近はイベントの企画などプロデュースにも力を入れる。

 2000~03年ごろ、アイドルユニットSMAPのバックダンサーを務め注目された。「初めてのビッグネームのバック。必死だった」。これを機にKIMIさんに憧れ、レッスンの門をたたく生徒が増えた。

 子どものころからダンスは好きだったという。「小学校に入る前ぐらいかな、兄のラジカセから流れる音楽に合わせ体を動かしたことを覚えている」。中学で器械体操部に入り、「文化祭で部員でダンスを披露した。最前列で踊ったことがうれしく、ダンスを仕事にしたいと初めて思った」。

 高校時代は空手道部でインターハイにも出場したが「ダンスの芽は体内に残っていた」。卒業後に上京、専門学校を経て都内の工務店に就職。同時にダンススタジオに通ったが、3年余りで「ダンスに懸ける熱意が仕事を上回り」、会社を退職。ダンスで生きていくと決め、アルバイトをしつつ勉強する日々を続けた。

 ダンスの仕事は徐々に増え、自分の師匠から代わりにレッスンを任せられるまでに。有名アーティストのツアーにも同行し、生活も安定した。やがて自分が踊るだけでなく、ノウハウを教えること、ダンスの楽しさを広めることを望みだした自分に気付く。「表現する楽しさや苦しさ、そのために努力を重ねて初めて見える世界を伝えたい、と」

 2011年には東日本大震災のチャリティーダンスイベントを企画し、都内で3度開催。コロナ禍が全国を覆った20年は青森県出身で都内在住のフリーアナウンサー中村雅子さん、津軽三味線奏者高橋竹春さんと3人で朗読と演奏、ダンスのコラボイベント「あおもり女子カフェ」のネット配信を企画、成功させた。「厳しい状況下でも故郷へ元気を発信できると考えた。おこがましいけど、故郷の青森、東北に何か恩返しできたかな」とほおを緩める。

 「例えばダンスで高齢者の俊敏性を若々しく保てないか。子供に跳び箱や縄跳びなど運動の楽しさを教えられないか。郷土芸能の田子神楽も学びたいし」。今後取り組みたいことを次々に列挙するKIMIさん。「ダンスがあったから自己表現できたし、今後のこともダンスを軸に考えられる。ダンスは私を救ってくれる存在です」

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 <きみ 本名・齋藤貴美子。1973年田子町生まれ。八戸工大一高卒。ソロ活動のほか著名アーティストのバックダンス多数。SMAPのステージでは「世界に一つだけの花」などのダンスで注目される。現在はダンスレッスンの傍らイベントプロデュースの実績を積む>