プロローグ

本日、岩手県久慈市の小学校の生徒さんたちとオンライン会議システムを通じて交流しました。

久慈市は鰺ヶ沢町と歴史的な繋がりがあります。この小学校では学習の一環で、鰺ヶ沢町に関する活動を行うということになり、その中心となった五年生(昨年活動時、現・六年生)が選んでくださったテーマ、それはわさお記念碑プロジェクトへの募金協力活動でした。

遠く離れた地にある小学校の皆さんが、鰺ヶ沢に関心を持ってくれるのみならず、わさおに心を寄せてくれたことに胸が熱くなりました。

でもこれは、ひとつの例であり、わさお記念碑にご助力ご協力下さった皆様にはそれぞれの思いがあるはずです。そのひとつひとつの思いが、「わさお」という存在でひとつに繋がっています。

とても素晴らしくてありがたくて、そしてすごいことだと思います。

本当はお一人お一人に感謝の言葉を伝えるべきなのでしょうけれども、ただ「ありがとうございます」ではなんだか全然届かない、そんな気もします。

また、現在、わさお記念碑プロジェクトは当初の出発点から大きく前進しており、途中途中の一里塚、マイルストーンを無事に通過しつつあり、今後にむけての展開を整理してみるよい時期になっているとも思えます。

あわせて、いくつか、ほんの私の目の届く範囲ではありますが、若干の情報の混乱が垣間見られるような気がします。ですので、この機会に、「わさお記念碑プロジェクト」のこれまでを振り返ってみたいと思った次第です。プロジェクトに携わっているものではありますが、ここで述べられるのは私個人の主観です。

「わさおは銅像になるのかねぇ」

飼い主母さんがこの世から旅立たれる2年か3年前のこと。ちょうどその頃、私は「わさおは現代のハチ公なんじゃないかと思う」理論(持論?)をよく母さんと話していました。ハチもわさおも、どちらもその時代だからこそ花開いた社会現象だと思うからです。そのやりとりの中で出てきた母さんの言葉が「わさおは銅像になるのかねぇ」でした。そしてさらに「銅像になったらいいねぇ」「それはあなた次第だね」と続き、割と強めのプレッシャーを感じたことを懐かしく思い出します。

以来「わさおの銅像」は私にとっての呪い、呪縛としてずっと心に引っかかるものとなりました。

とはいえ、これだけの企てとなりますと、なかなか手強いところがあり、その方策を探るうちにいたずらに時間ばかりが流れ、母さんとのお別れがあり、つばきとのお別れがあり、そしてとうとうわさおとのお別れを迎えてしまいました。

わさおを偲ぶ会を行ったあたりからでしょうか。周囲からわさおの記念碑をつくるべきではないか、その功績を顕彰すべきではないかといった声が聞こえてくるようになりました。呪いを祓う機会が巡ってきたと思いました。今や同じ思いの仲間がいて、それをさらに大きく広げていく時が来たと感じました。

わさお記念碑プロジェクト

銅像が建てば良いなという思いはありましたが、それをゴールに設定してクラウドファンディングを募るようなやり方には違和感がありました。なんというか、それはわさおらしくない気がしまして。目標金額めざしてしゃにむにがんばるのはもちろん悪いことではありません。でも、それがわさおらしい姿勢かというと、うーむ?と思えたのです。結果、お声掛けは、募金や寄付それとふるさと納税にいよるものがいいと思いました。特にふるさと納税とのコラボレーションは、鰺ヶ沢をアイデンティティとしたわさおにとってとてもそれらしいやり方に思えました。制度の主体である鰺ヶ沢町にも快く協力していただきました。

そうしてこうして集まった額がいくらであろうと、それで出来る範囲の記念碑でいいじゃない。それが石碑みたいなものになるのか、神社の狛犬みたいなものになるのか、あるいは立派な銅像になるのか。わさおだったら最終的にどんな形であっても、たぶんいい感じにおさまるんじゃないかしら、といった謎の安心感がありました。

「わさお銅像プロジェクト」ではなく「わさお記念碑プロジェクト」とし、「わさおの銅像」ではなく「わさおのモニュメント」を目指したのはそんな思いからでした。

そしてわさおが蘇る

年が明けて募金期間の終了が見え始めたころ、全体像を大雑把に集計してみたところで、これは銅像射程距離じゃない?的な水準にあることがわかりました、漠然とですが。そこで、確証を得るために、かつて鰺ヶ沢町で記念碑を立てたことが在る会社さん、当初から熱心に銅像建立をすすめてくれた会社さん、あとこちらで独自に調べた、これまでまったく初めての会社さんなどに見積もりやアドバイスを求めてみました。

私達の目を引いたのは、黒谷美術さんのご提案でした。コストに関してはどこもそう大きな違いはありませんでしたが、黒谷美術さんだけは、題材がわさおであるということをきちんと踏まえた上で、わさおに寄り添えるような作家さん候補複数人まで含んだご提案内容になっていました。

その中のひとりがはしもとみおさんでした。そして私はこのお名前に覚えがありました。
前年9月8日に、わさお記念碑プロジェクトを発表した際、twitterで「わさおを形にするならはしもとみおさん」といったわさおファンの方の発言があって、どれどれどんな作品を作る人なのだろうと思って調べてみたことがあったのです。その作風はびっくりでした。どれもこれもが生きていました。木なのに。

そう、はしもとさんは木彫りの彫刻家でした。そしてこれは銅像の原型作家としては少し珍しいと思えました。銅像は粘土かなにかで原型をつくって石膏像にして型とって…みたいな印象がありましたので。

他の作家さんは、いくらいくらといったシンプルなご提示でしたが、はしもとさんは銅像での型取り作業後、残された原型彫刻をどこの所有とするかという点で2つの案を提示されていました。どちらも通常ではありえない破格の提案である旨が、黒谷美術さんより補足として付記されてたような記憶があります。

その細やかで大きな譲歩を含んだ提案の姿勢を私達は、作家の熱意と受け止めました。
ああ、このひとはわさおを彫りたくてうずうずしているのだ、すくなくとも私自身はそう感じました。そしていわずもがな、私達が欲しているのは鰺ヶ沢に立つわさおの銅像であって、その原型となる木彫り彫刻まで抱え込むのは、なにか度が過ぎている気がしました。

「お互い様の精神」これは、長らくわさおの活動の指針としてきた「わさお三原則」のひとつです。そして私達のもとには銅像があればよく、木彫り原型ははしもと作品としての別の道を歩んでより多くの人に出会ってほしい、これが今回の「お互い様」であり、わさおらしい選択だと思えました。

そうそう、はしもとさんに関しては予期せぬサプライズが別にもうひとつありました。テレビのドキュメンタリー番組「情熱大陸」が長期密着していたということです。なんというか、これもまたとてもわさおらしいド派手な展開だなと思いました。だまっていても世に出ちゃうのが、なんといっても「わさお、もってるよなー」なのであり、いまだに現世でわさおマジックを発揮しているのかよ、と、なんだかうれしい気持ちになりました。

そんなこんなで、そこから先はMBS系「情熱大陸」で放送されましたので、見た方もおられると思います。

わさおの彫刻を見た瞬間、あまりのわさおっぷりに思わず笑ってしまいました。ああ、またわさおに会えたと思いましたし、これならほかの人にもわさおに再会したと思ってもらえる、まさしくわさおが蘇った…と思った瞬間、そっから先は言語化できない激情の波に飲まれてしまいました…なんとも面目ない感じです。

完全に素のリアクションが全国に放映されてしまいました。芝居ではありません、ドキュメンタリーですから。ギャラもありません、ドキュメンタリーですから。もらったりはらったりしたら、そりゃドラマ…。つか、あのはしもとさんのわさおを前にしたら、できないっすよ素のリアクション以外は…。

とにもかくにも、あの日のはなんとも言えない幸福感で満たされてました。わさおに再会した感がとてつもなく強かったので。

そしてわさおは旅に出る

そもそも銅像原型の木造彫刻が、鰺ヶ沢に来た本来の目的は、その出来栄え確認だったのですが、なんともはや圧倒的わさお感に打ちひしがれて膝から崩れ落ちてしまった自分としては、もうなんも言えねえ…な感想なわけで。次はこのわさおを黒谷美術さんに送って銅像にしてもらうというのがメインのミッションなのですが、ちょうど大型連休に入ってしまいましたので、しばし鰺ヶ沢で足止めと相成った次第です。

でも、なんていうか。きくや商店におかれたわさおを見ているとあ~いいな~って思います。このわさおは今、あのわさおを同じ空気吸ってんで~って思うと、あ~いいな~って思います。どんどんわさおになって、そんで銅像になって帰ってきてくれって思います。

なので、木のわさおはもうちょっとして準備が整ったら富山にむかって旅立ちます。富山では銅像の作業だけですので、残念ながら、木のわさおには会うことは叶わないと思います。わさおに会えると期待してた方ごめんなさい。でもって銅像原型の役目を終えたらはしもとさんのところに帰って、きっとお化粧直しをしてもらえるんじゃないかしら? そして、ほかのはしもと彫刻の仲間たちと全国旅してどんどん新たな出会いをしてくれって思います。もし万が一なにかあっても、はしもとさんのそばにいればきっと直してもらえるでしょうしね。

そして未だ道半ば

わさお記念碑プロジェクトは、銅像原型の完成まで来ました。物語の構成でいうならば起承転結の転まで来た感じでしょう。でもまだ、結ではありません。

多くの人に驚きと感動をもたらした、はしもと木わさおをそっくりそのまま銅像にするという挑戦が、今度は黒谷美術さんではじまります。かつてここまで、まだ出来上がってもいないのに世間の耳目を集めた銅像づくりがあっただろうか、たぶんない。銅像造りの職人集団はその経験と技術で挑みます。是非プロジェクトXでやってほしい。もうない?

台座も作らねばなりませぬ。わさおを載せて似合うのは、やっぱり軽トラックの荷台の高さだよね、というところまではイメージされているものの、さてどんな色や形や素材がいいのやら。これが出来てないと、銅像わさおが出来ても置く場所ないですもんね。

まだまだ、まだまだ、やることあります…。

エピローグ

もしかしたら疑問に思ってるかもしれないことを忖度して補足します。

わさおの銅像が海の駅に立つはなぜ?

わさお記念碑をどこに建てるかは当初からの主要テーマでした。一貫しておもっていたのは、わさおゆかりの地であること、でした。そして浮かんだ候補は3箇所。

1)わさおと母さんが出会った場所:海の駅わんど駐車場
2)わさおが長年くらした場所:七里長浜きくや商店
3)わさお駅長としての場所:JR鰺ケ沢駅前

3)はその場所の再整備計画があるやもしれぬという観測の下、不確定要素があるのでとりあえず見送り。2)はとても悩ましかったのですが、やはり始まりの場所である1)が初めてのわさお銅像の出発点としても意味があるような気がしました。ただここは町の所有であり行政財産なので、所定の手続きが必要かと思われます。よって、あくまでも現段階では予定です。

飼い主母さんの銅像は?

そうなんですよ。わさおといえばその正体は飼い主母さん・菊谷節子さん、というくらい一心同体だったんですよ。なので、上野の西郷さんのようにわさおを引き連れた母さん像というのもとてもそれらしいなぁ、という考えはあったのですが…反面、それはちょっと作りすぎというか…。なんというか、わさおの本尊というか、わさおそのものに注力することで、より母さんが強くイメージできるもの、というか。あるいは、人によってはその横にいるように見えるのはつばきだったり、グレ子だったり。あえて作らないことで、逆に人それぞれに見えてくる存在が在るのではないか、という考えにいたり、わさおそのものだけを銅像にというところに着地しました。

わさおの一周忌に間に合う?

間に合いません。わさおごめん。当初はわさおの一周忌を目指すとはしていたものの、新年明けたあたりから、ちょっとこれはスケジュール的にきついかも、というのが見えてきました。昨今のはやりの病によって資源と時間を有効活用できなかったという反省があります。でも、だったら逆に時間がかかってもちゃんとしっかりしたもの作ろうよっていう機運につながったというのもあります。