「原稿は書き出しの一文が大事」と工藤さん。手掛けた作品がずらりと並ぶ=東京・吉祥寺のオフィス

 著名人のインタビューから記事構成、編集、企画、小説執筆、漫画の原作など活動範囲は幅広い。青森市出身の工藤晋さん(都内在住)はフリーライターというより「マルチエディター」と呼ぶべき、出版界になくてはならない存在だ。

 中でも漫画原作は30本に上る。武豊騎手原案で青年誌に連載された「ダービージョッキー」は競馬の魅力を発信。カーリング・元チーム青森の本橋麻里選手らスポーツ選手の半生を描いた実録も反響を呼んだ。編集では中島みゆきさん初の自作絵本を実現。映画のノベライズも手掛ける。「どの仕事も面白いんだよね、困ったことに」と笑う。

 高校まで同市で過ごし、漫画とプロレスなどスポーツ観戦を愛した。東京の大学に進み、「卒業後は青森に戻り当時の彼女と結婚、県内で仕事と思っていたが、別れてしまって戻る理由がなくなった。ある朝ふと、スポーツ雑誌を作る仕事がしたい、と思った」。

 大学4年でプロレス雑誌の編集プロダクションにアルバイトとして入った。初仕事はジャイアント馬場選手の取材。次がアントニオ猪木選手。卒業後はそのまま社員として取材経験を重ね、選手の人間としての魅力に引き込まれていった。

 雑誌休刊を機に馬場選手の誘いで全日本プロレスへ入社し、広報などを担当。だが現場取材への思いは捨てがたく、3年ほどで退社した。在職中に知り合った編集者の紹介で有名青年誌にインタビュー記事を執筆した。フリーライターとしての初仕事だった。

 編集の仕事にも挑んだ。「ミュージシャンが絵本を書いたら面白い」と大手出版社に提案・企画した中島さんの絵本がヒット。さらに漫画編集者の誘いで少年誌のプロレス漫画の原作を初執筆、人気作となった。

 「ダービー-」は武騎手の週刊誌連載構成を機に企画が立ち上がった。「豊君から『競馬人気を支えるためできることはないか』と言われ、若い世代に好きになってもらうため漫画を作ろうと」。武騎手原案、工藤さん原作、一色登希彦さん作画の同作品は約5年の連載を経て2004年に完結。その後もコミックスや漫画文庫などでファンに読み継がれる名作となった。

 「中島さんにしろ豊君にしろ、ゼロから1を生み出す才能がある。そんなすごい人たちと取材で話せるのは幸せなこと」。そんな人たちの魅力をどうすれば伝えられるか、取材後は四六時中考える。「自分はゼロから1を生む力はない。でも生み出された1を10とか20とかにすることはできるかもしれない、と」

 60歳の今でも取材現場にいられることが楽しくてたまらないという。「人に恵まれたということです。そんな人たちと話す中で面白い企画が浮かび、やりたいことができる。幸せなことです」

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 <くどう・しん 1960年青森市生まれ。青森高校-日本大学法学部卒。プロレス雑誌記者、全日本プロレス勤務を経てフリー。著名人インタビューのほかアーティストが描く「大人の絵本」企画、雑誌連載企画の構成など数多く手がけた。第一線アスリートの実録漫画の原作でも活躍>