「帰省中に散歩していて曲の着想を得ることもある」という伊藤さん=東京・東池袋のカフェ「KAKULULU」

 ボサノバギタリストとして国際的に知られ、「コードの魔術師」と称される伊藤ゴローさん(青森市出身)。坂本龍一さんや細野晴臣さん、海外のアーティストとの数々の共演やレコーディングの実績が評価を裏付ける。ボサノバ創生者の一人、ジョアン・ジルベルト直系と評されるデュオ「naomi&goro(ナオミ&ゴロー)」は世代を超えた人気だ。

 「バンドメンバー的に話し合いながら作っている」という原田知世さんの楽曲プロデュースはもう15年。近年は音楽と映像を駆使した表現作品に挑み、繊細かつ大胆な音と光が印象的な新作「アモローゾフィア」は文化庁の支援を受けた。

 父親の趣味で、小さな頃から音楽が身近にあった。中学時代にボサノバの名曲「イパネマの娘」が好きになった。おじからもらったギターでビートルズも弾き始める。「それ以前から自分は音楽で生きていくと決めていた。演奏でも指揮でもできる、と」と笑う。

 仲間とバンドを始め、青森市内にあった「だびよん劇場」に入り浸るように。「人脈が広がり、刺激を受けた」伊藤さんは19歳で上京。「音楽をやりたいと思ってはいたが、具体的な策はなし。アルバイトしながらギターを弾き、作曲もしていた」。音楽で生きるという考えは捨てなかった。

 「そんな時に出合ったのがジルベルトの楽曲。この不思議な音楽を探りたいと思った」。中学以来の巡り合いとなったボサノバに我流で取り組んだ。演奏は徐々に認められ、2000年から作曲活動を本格化。自身のソロアルバムもnaomi&goroのアルバムも高評価を得た。

 やがて坂本さんから、自身のレーベルでアルバムを共同制作したいと誘いが。「教授(坂本さん)が評価してくれたことで、初めて音楽をやることに自信が持てた」。坂本さんは09年、naomi&goroのアルバムにもピアノで参加した。「それまで教授の存在を自分では意識してないと思っていたが、対抗心から無意識に距離を取っていたのかも。教授と仕事して、やってきたことは間違いでなかったと確信した」

 同時に自分が本当にやりたいことは何かを考え始めた。「東日本大震災も影響した。自分に向き合い、作曲者としての自分を表現しようと考えた」。歌の伴奏でなく、音楽と映像で自らの世界を表現する。「例えば音楽に映像を組み合わせることで意味を百八十度変えることすらできる」。伊藤さんの挑戦が始まった。

 「表現するイメージの断片はいつでも私の体内にある。例えば青森の雪なんかも」と伊藤さん。自宅がある都内で雪を見て故郷を思い、心が弾むこともある。「そうして作る音楽は、誰かのためでなく自分のために作ったと言える。でもそれを他者と共有することができたとき、幸せは大きくなるんです」

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 <いとう・ごろー 1964年青森市生まれ。ボサノバユニット「naomi&goro」を98年結成。2001年に「MOOSE HILL」名義で初のソロアルバム発売。ブラジルなど海外や国内の著名音楽家と共演多数。作曲やギター演奏に加え、映像を駆使した音楽プロデュースで活躍>