リオデジャネイロ五輪の卓球(たっきゅう)男子で二つのメダル獲得(かくとく)した水谷(みずたに)隼(じゅん)選手(青森山田中、青森山田高卒)が、東京都江東区(こうとうく)で開かれた保育園(ほいくえん)の開園記念発表会に登場。集まった保護者(ほごしゃ)らを前に、一流選手への布石(ふせき)となった、子ども時代のスポーツ体験を語りました。リオ五輪の時は、力強いガッツポーズや激(はげ)しい表情(ひょうじょう)で勝ち進みましたが、子どもたちと交流する水谷選手はニコニコでした。
小さい頃(ころ)からサッカーやソフトボールなどに親しんできたという水谷選手。5歳(さい)で始めた卓球(たっきゅう)について「右利(みぎき)きだったが、有利になるよう、両親から(選手が少ない)左に矯正(きょうせい)させられた」と、エピソードを明かしました。
小学校低学年で早くも全国トップレベルになったという水谷選手。「中1で海外遠征(えんせい)に連れていってもらった。小さい時から始めなければ、そういう道のりにはならなかったと思う」と、卓球に打ち込(こ)んできた日々を振(ふ)り返りました。
開園記念発表会では、園に贈呈(ぞうてい)したミニ卓球台を使い、園児たちにラケットの持ち方などを“即席(そくせき)授業(じゅぎょう)”しました。笑顔(えがお)の子どもたちに「勝ち負けよりも、楽しんでやることが大事なので、良かったです」と目を細めていました。
水谷選手はリオ五輪の卓球男子シングルスで銅(どう)メダルを獲得、日本人初の卓球個人のメダルという快挙(かいきょ)を達成しました。男子団体(だんたい)も丹羽(にわ)孝希(こうき)選手(青森山田中、青森山田高卒)らとともに活躍(かつやく)、銀メダルに輝(かがや)きました。