「コラボは楽しく勉強になる。でも受け継いだ技は変えない」と話す竹春さん=川崎市

 弦の響きは柔らかく、強くぶれない芯も併せ持つ。高橋竹春さん(青森県平内町出身、川崎市在住)の津軽三味線を耳にした時、そう感じた。「初めて1人で観衆の前で三味線を演奏した時、『不思議な世界』と評されたんです」と笑う。

 始めたのは津軽手踊りのほうが先だった。「私が生後6カ月のころから母が習い始めた。で、私が5歳になると母が『明日からあんたも習うのよ』と」。手踊りも民謡も大好きになり、稽古に役立てようと9歳から津軽三味線も始めた。師匠は高橋竹善。「家から稽古場まで徒歩40分。三味線を背負って通った」

 竹善の師である高橋竹山にも会った。「『おめが竹善の弟子が』と目を細められた。緊張した」。名匠竹山からの流れが、師匠の竹善、そして自分へとつながっていることを実感した。

 2人の師と母を目標に稽古に打ち込んだ。25歳のころ、竹善に「これからは私が教える全ての三味線教室に来なさい」と言われ、意図がよく分からないまま通い始めた。やがて竹善は体調を崩し入院。「ある日病室で『私の教室を頼む』と先生に言われた。私に教え方を伝えていたんだと分かった」。客の前での単独演奏も認められ、竹善の代わりに舞台に上がった。やがて竹善は安心したようにこの世を去った。竹春さんは20代後半で、竹善の弟子を引き継いで師範となった。

 青森市を拠点に三味線や手踊りを教え、公演も続けた竹春さん。しかし2011年の東日本大震災に伴う自粛や沈滞ムードで活動の場が減った。悩んだが、弟子たちの後押しで結婚を決め、川崎市へ移住。青森の教室や公演は続けるため、毎月10日以上は川崎を離れる日々となった。夫の協力もあり、活動の場は地元と首都圏で徐々に広がった。忙しい日常が戻り、震災から9年がたった今年-。コロナ禍が社会を襲った。

 「震災直後より打撃は厳しく、これほど長引くとも思わなかった」。公演は激減し、指導のための帰省もままならない。「密」を避けるため弟子も観客も集められない。やりたかったイベントも、楽しみにしていた触れあいも全て消えた。

 それでも「三味線や手踊りは子どものころからあって当たり前で、コロナで苦しくなったからやめるという選択肢はない」と、帰省せずに教えられるオンライン教室にチャレンジ。気心の知れた県人女性2人とともに三味線と朗読、ダンスのコラボをネット配信する「あおもり女子カフェ」も行い、話題となった。

 10月からは青森での定期公演も、感染防止に万全を期しつつ再開された。「厳しいコロナ禍で、自分はこれまで恵まれた環境にあぐらをかいていたのでは、との思いが強まった。竹山先生、竹善先生が教えた三味線、母が伝えた津軽手踊りをこれからも絶やさないよう、後継者育成にも力を入れる」

たかはし・ちくしゅん 平内町生まれ。5歳で津軽手踊りを始め、2001年、第31代県津軽手踊名人位。津軽三味線は9歳で高橋竹善に師事、1989年に「竹春」、2014年に「高橋」を拝命。津軽手踊り後藤千万里会師範、竹山流津軽三味線竹山会師範>