みなさんは、弘前市出身で明治時代を代表するジャーナリスト・陸羯南(くがかつなん)を知っていますか。弘前市立博物館で開催(かいさい)中の企画展(きかくてん)「陸羯南とその時代」展では、羯南の生き方や業績(ぎょうせき)のほか、当時の弘前の様子などについても学ぶことができます。
羯南は1857年、弘前市で生まれました。その後、1889年に東京で新聞「日本」を創刊(そうかん)。新聞は、国民主義(しゅぎ)に立って明治政府(せいふ)のやり方を批判(ひはん)する内容(ないよう)が多く、何度も発行停止の処分(しょぶん)を受けましたが、羯南は自分の考えを変えませんでした。ちなみに、弘前市の大和沢小学校の近くには「名山名士を出(いだ)す」で始まる羯南の詩の石碑(せきひ)があります。
企画展では、羯南や、羯南と交流のあった人たちに関する多くの資料(しりょう)を紹介(しょうかい)していて、弘前市内を中心に多くの小中学生も見学に訪(おとず)れています。このうち、相馬小学校の4年生31人は、羯南の働きぶりや、俳人(はいじん)として知られる正岡子規(まさおかしき)らとの交流、当時の弘前の街の様子などについて、博物館の棟方隆仁(むなかたたかひと)学芸員から説明を受け、一生懸命(けんめい)メモしていました。
また、羯南のクイズ大会も行われ、見学した内容(ないよう)から問題が出されると、児童たちは元気いっぱいに答えていました。相馬小の澤田桜歌(さわだおうか)さん(10)は「発行停止になっても、新聞を出し続けたことはすごいと思います」、蝦名虹輝(えびなこうき)君(10)は「明治時代は、弘前の街が東北でも大きかったことが分かって、びっくりしました」と話していました。
企画展は、東奥日報社や弘前市などでつくる実行委員会と市立博物館が主催(しゅさい)し、28日まで開催(かいさい)(15日は休館)しています。