青ケ島の最後の坂を走破した山田さん(本人提供)
17年のアップルマラソンで初の4時間切りを達成、両親と喜ぶ山田さん(中央、本人提供)

 東京都内の名を持つ坂の情報を精査し、7年をかけて今春、全て走り切った七戸町出身の山田安秀さん(56)。その数、実に1491。「坂に名があるということは、古くから人が住み、文化を育み歴史を刻んできた証左。走破でそれが実感できた」と笑う。

 都内に住む山田さんは、かつて駐在したタイで痛感した運動不足の解消のため帰国後の2010年ごろからジョギングを開始。ハーフマラソンにも挑むようになった。やがて都内には名がある坂が多いことに気づく。「ざっと調べると800ぐらいあると分かったが正確でない。それなら自分で走って確認しよう」と考え、13年春から「坂チャレンジ」をスタートさせた。

 富士見坂、胸突坂など東京23区にある900以上の坂をほぼ走り終えたのが16年春。続いて多摩地区の500坂以上を駆け抜けた。未走破の坂があるとの情報を得るたびに丹念に走破した。19年からは島しょ部に挑戦。締めくくりとした伊豆諸島南端の青ケ島にはヘリコプターで飛び、5坂を1日で走った。「青ケ島は二重カルデラで、いわば十和田湖の外輪山斜面にある坂を1日で駆けた感じ」。両手を使わないと上れない難所もあったという。

 「青ケ島を走り終え、これまでの坂が走馬灯のように浮かんだ。『やった』という感無量の思いと、『疲れた、無事でよかった』の思いが交錯し、空を仰いで快哉(かいさい)を叫んだ」。これで完全制覇と喜んだものの、翌日の帰途に立ち寄った八丈島で、八丈富士に「イチニッパ(1280段)階段」という愛称の登山道があると聞き直行。帰宅後にもさらに数カ所、未知の坂の情報を得て走破した。約7年のチャレンジの軌跡はフェイスブックで発信してきた。

 14年からはフルマラソンに挑んだ。タイムは当初、4時間~4時間半前後だったが、17年の「弘前・白神アップルマラソン」が転機に。「親孝行しようと七戸に住む父母を弘前に連れて行き、自分が走る姿を初めて見てもらった」。親の声援を力に初の4時間切りを達成。今では3時間20分切りも難しくなくなった。

 「日本人にとって坂は親しみ深い地形で、古事記にも黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)(現世と死者の国の境)のことが記されるほど」と山田さん。都内に限らず全国の著名な坂も駆け抜けた。もちろん故郷の青森県にも足を延ばしている。「むつや弘前、七戸などに名を持つ坂は多い。中でも弘前の坂の名称表示板は、国内有数の充実ぶり。青森県は坂を誇っていい」ときっぱり。「将来は自分が走破した『日本百名坂』の執筆など、人と違うことを地道にやっていきたい」

 <やまだ・やすひで 1964年七戸町生まれ。三本木高校から北海道大学へ進学、同大大学院修了後、88年に通商産業省入省。14~17年には内閣審議官(新型インフルエンザ等対策室長)などを歴任し、国の感染症対策全般を指揮。現在は清水建設執行役員。国内マラソンに多数出場しランニング雑誌でコラム連載。アマチュアランナー向けテレビ番組にも出演>