青函連絡船の歴史研究にいそしむ安田さん。大切に保管しているという1等航海士の制服を着用してもらった=埼玉県越谷市の自宅

 明治から昭和にかけ、本州と北海道を結ぶ交通の大動脈だった青函連絡船。1988(昭和63)年の廃止から30年余がたった今、その歴史と意味を後世に語り継ごうと活動を続けているのが、元青函連絡船1等航海士の安田榮治さん(69)=青森市出身=だ。

 2012年、連絡船研究者として著名な大神隆さんや元乗務員らと青函連絡船史料研究会を設立。以来十数回開いてきた講演会は、元船長や航海士らの裏話、連絡船と桟橋の模型や貴重な資料の公開などもあり、多い時には80人余が訪れる人気ぶりだ。「マニアから親子連れまで、青函連絡船を愛してくれる人がこんなにいるのかと驚かされる」

 船が好きで、故郷の海を行く連絡船の姿に憧れた。外航船の船長を目指して県外の商船高校へ進み、大手商船会社への就職も内定したが、故郷に戻り連絡船に乗るのもいい、と国鉄へ。幾多の航海や陸上勤務で経験と苦労を重ね、ついに船長補佐の1等航海士となった。「さあ、あと数年で4本線(制服袖にある横線。4本が船長)になれるぞ、というところで青函連絡船廃止。心残りだった」

 連絡船が表舞台から去り要路の主役は青函トンネルに。安田さんも連絡船業務を離れたが、連絡船への愛は失われなかった。「80年の航跡を語る資料の散逸を防ぎたかった」。犠牲者千人超、国内最悪の海難事故とされる洞爺丸沈没事故など、悲劇も含めた史実に正しく光を当てたい。安田さんは研究会旗揚げとともに歴史研究に本腰を入れた。

 JR北海道が1988年に刊行した記念誌「青函連絡船栄光の航跡」の編集員だった安田さんでも、詳しく知らない史実はあった。戦時中の連絡船沈没事故の原因を探るための情報開示請求や当時の極秘資料の入手、元乗組員や遺族らとの面会…。熱心な取材の成果は研究会の講演会で発表する。元洞爺丸船長の遺族から託された遺品を初公開したことも。「元乗組員や家族の思いを考えると、公に語りにくい史実もある。そうした事も含め、『青函連絡船の真実』を残したい」

 113キロの航路を駆けた青函連絡船は80年間で計56隻。今もその姿を残すのは青森港のメモリアルシップ八甲田丸と、函館港の函館市記念館摩周丸の2隻のみとされる。「トンネル開通以前の青函交通の歴史を残す意味で、八甲田丸が青森港にあるのは素晴らしいこと」。連絡船の船首で着岸準備をしつつ青森港に入ると、岸壁で練習している青森ねぶたの囃子(はやし)の音が聞こえてくる-。懐かしの光景は今もはっきりと思い出せる。「青函連絡船は青森ならではの風景で、貴重な財産。県民の心のよりどころとして、ずっと青森港にあってほしい」

 <やすだ・えいじ 1950年青森市生まれ。国立富山商船高校(富山県、現富山高専)卒業、71年に国鉄青函局入局。青函連絡船の3等、2等航海士を経て十和田丸などの1等航海士に。同連絡船廃止後は船舶検査官として各地で勤務。その後研究者や元乗組員らと青函連絡船史料研究会設立。埼玉県越谷市在住>