喜一郎さん、喜右エ門さん兄弟の流れをくむ中華そば。煮干しだしのスープと肉厚のチャーシューが特徴だ(麺処 石岡喜一郎商店)
喜右エ門さんが使っていた製麺機。石岡浩二さんは「将来はこの製麺機を使ったラーメンを作りたい」と話す

 「もう一つの『石岡ラーメン』を捜してもらいたい。青森の煮干しラーメンの祖の一人だと思う」。東奥日報紙「あなたの声から『フカボリ』取材班」に青森市の50代男性から声が寄せられた。聞き慣れない石岡ラーメンという名前、そして「もう一つ」とは? 浮かんできた疑問をもとに、取材を進めて見えてきた答えは-。

 男性の話では、石岡ラーメンは煮干しだしをベースにした、いわゆる津軽ラーメンで、太麺に大ぶりのチャーシューが特徴だという。名前も正式なものではなく、戦後、青森市に住んでいた石岡喜一郎さんが屋台で出していた中華そばを指すようだ。

 ただ、男性は「自分が食べたのは喜一郎のものではない。その弟が市役所近くで出していたものではないか」と推測。それが「もう一つの-」と話す理由だ。

 石岡喜一郎さんとはどのような人物か。市内のラーメン店に尋ねてみたが、中心部で店を構える男性店主や、煮干しだしを売りにした男性店主も「聞いたことがない」と口をそろえた。

 取材を進めると、喜一郎さんの孫で、同市幸畑でラーメン店「めんや喜一」を営む坪文隆さん(65)に会えた。坪さんによると、戦後樺太から戻った喜一郎さんは1947(昭和22)年ごろから、自宅のあった同市油川を拠点に、古川、遠くは蟹田(現外ケ浜町)まで、中華そばの屋台を出していた。ただ、市役所付近では営んでいないという。

 喜一郎さんには、喜右エ門さんという弟がいた。市役所そばに自宅を構え、近くで屋台を出していたという。坪さんは「喜一郎も喜右エ門も連絡を取り合っていた。中華そばは同じ」と説明。双方ともすっきりした煮干しスープに肉厚のチャーシューが特徴だという。男性の記憶にある「もう一つの石岡ラーメン」は、喜右エ門さんの中華そばで間違いなさそうだ。

 「あおもりラーメン物語」(あおもりラーメン研究会、青森商工会議所発行)によると、戦後、青森駅前に中華そばなどを扱った屋台が並び、そこから古川、旭町、旧浦町駅、本町などに広がった。石岡さん兄弟の屋台もその流れの一つとみられる。

 喜一郎さんは67年ごろ、喜右エ門さんは73年ごろまで屋台を出していたが、程なく他界。油川で中華そばを提供していた喜一郎さんの長男・一郎さんも店を閉め、喜右エ門さんの息子も若くして亡くなったことから、石岡ラーメンの系譜は途絶えた。

 だが11年前、坪さんが土木工事関係の仕事を辞めて、店をオープン。「喜一郎のラーメンは食べたことがあったし、亡くなった後も、母が毎年正月に振る舞っていた。味は覚えている」と坪さん。喜一郎さんの流れをくむ中華そばを看板にしている。

 さらに喜一郎さんの孫で、坪さんのいとこの石岡浩二さん(50)が今年2月、同市のパサージュ広場にその名も「麺処(どころ) 石岡喜一郎商店」を開業した。

 喜一郎、喜右エ門兄弟の遺志を継いだ2人。だが提供している中華そばは、いわば改良版。例えばだしは「喜一郎のものはカタクチイワシの煮干し1種類で、あっさりしている」(坪さん)のに対し、2人はカタクチ、平子の2種類で取っている。

 一方、喜右エ門さんが使っていた製麺機は現存。今は2人ともなじみの製麺工場から麺を仕入れているが、石岡さんは「月1回とかイベントのような形で、この製麺機で作った麺とカタクチのスープを使った、そのままの喜一郎のラーメンを再現したい」と意欲を示した。