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五戸駅跡地の一部は現在南部バス五戸営業所になっている=地図(1)
故三浦善蔵氏の銅像(左)と小泉さん。「駅舎は総2階の大きな建物だった」=地図(1)

 町内各地や八戸市、新郷村などを結ぶ営業所の一角には、1926(大正15)年に同鉄道の前身「五戸電気鉄道」を設立した故三浦善蔵氏の銅像が立つ。町の隆盛を支えた鉄道の存在を末永く伝えようと、周辺は南部鉄道と南部バスのOB会会員が年1回の手入れを行っている。

 同会役員の小泉健次郎さん(83)は、52(昭和27)年に入社し68年まで運輸課などで勤務した。「発車時間ぎりぎりに来たお客さんが走りながら『待ってくれ』と手を振ると、30秒ぐらいは待ったことも。のどかな時代だったね」

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「鉄道はこの側溝のあたりを走っていたはず」と話す三浦さん=地図(2)

 五戸駅を起点とした路線は、現在の町道五戸志戸岸線付近を通り東へ延びていた。緩やかなアップダウンのある道を進み、途中で町道地蔵平苗代沢線へ折れると「県立種鶏場前駅」の跡地にたどり着く。

 種鶏場は後に県畜産試験場養鶏部となり、県産地鶏「青森シャモロック」を開発。現在は同町の株式会社グローバルフィールドが施設を借り受け、シャモロックとその親鳥を常時約8400羽飼育している。

 同社処理場で勤務する三浦アサさん(77)は、夫の勝雄さん(故人)が試験場の職員で、自身も鶏舎で働いた経験を持つ。「この辺は官舎や職員の寮ぐらいしかなかった。今はまわりに家も建ってずいぶん雰囲気が変わったね」

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木漏れ日を受け、道路際で静かにたたずむ石碑=地図(3)

 再びのどかな丘陵地帯を歩きだし、低地へ向かう下り坂を進むと「南部鉄道 使命を果す」と刻まれた石碑が目に入った。当時社長を務めていた故三浦道雄氏の揮毫(きごう)による碑は90年、三戸町の篤志家による寄進で建立されたという。

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天満宮の参道入り口に立つ江戸さん。自身も五戸高校への通学に鉄道を利用したという=地図(4)

 坂を下りきると、木々が茂っていた道の左右が開け始め、周囲は田園地帯に。十文字を折れて八戸側へ進み、幕末時代の創建と推測されている天満宮へ向かった。海抜100メートル付近の高台にある本殿へ至る参道は鉄路が中腹で横切り、200メートルほど五戸側に「志戸岸駅」があった。

 志戸岸地区の自治会長、江戸俊一さん(68)によると、本殿はもともと低い場所にあったという。30年ごろ、付近で起こった鉄道事故をきっかけに「神様の頭の上を鉄道が通るのはいかがなものか」と移設されたとのこと。「昔は浅水や扇田地区から来た人が八戸に行くためバスから乗り換えた場所。近くに食堂もあり、今では考えられないほどにぎわっていた。例大祭などで集まると必ず当時の話になりますよ」

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参道(左奥)を横切る形で通っていた鉄道の路盤跡=地図(5)

 汗をかきつつ急な参道を上り、現在もくっきりと路盤の形が残る中腹へたどり着く。鉄道跡を示す案内板の写真を見ていると、蒸気機関車の音がかすかに聞こえる気がした。