東奥日報社、東奥日報文化財団主催の第73回県俳句大会が8月25日、青森市のリンクステーションホール青森で開かれた。特別選者で俳句同人誌「群青」共同代表の櫂未知子氏による記念講演「おいしい俳句」の要旨を紹介する。

講演する櫂氏

 

 

 

 

 

 松山市で行われた今年の「俳句甲子園」で弘前高校が初優勝した。東北に優勝旗がわたるのは初めて。大会を観戦したが、弘前高校はすごかった。本当に句が上品で議論がきれい。あれなら優勝できると思った。「短歌甲子園」でも八戸高校が優勝し、青森県勢は大したものだと思った。実際、皆さんの作品もレベルが高く、高校生だけではないことを実感した。
 今回のテーマを「おいしい俳句」としたのは食べない人はいないから。何よりも俳句は食べ物が作品の中心となることができる珍しい詩。世界中を探してもこのようなものはない。
 まずは広い意味の食の句から。北登猛の「釣瓶(つるべ)落としお腹すいたと妻が言ひ」。秋の日がすとんと暮れ行く時に妻が急に「そう言えばおなかがすいたわ」と言うかわいい句。「別れはなやか駅の大食堂春夜」(野見山朱鳥(あすか))は華やかで面白い。上野駅辺りの大きな食堂で、これから北に帰る人を詠(うた)った句か。
 池田澄子の「八月十五日真幸(まさき)く贅(ぜい)肉あり」。「真幸く」は万葉集にも出てくる奥ゆかしい言葉で「無事に」の意。「何事もなくしっかり贅肉がありますよ」というユニークな句は、戦地で亡くなった軍医の父への感慨も込め、戦後無事に生きて食べてこられたと詠ったもの。発表時の十数年前、私はアンケートでこの句をベスト1に挙げた。
 少し問題があるのは尾崎放哉(ほうさい)がやや晩年に作った「漬物桶に塩ふれと母は産んだか」。エリート意識が高く保険会社をクビになって住み込み生活をしていたころに作ったもので「私はそんな境遇になるために生まれたわけではない」という句。いくらプライドが高くても言わないようなものだが、そこを俳句で言ってしまうのが放哉たる由縁。
 春夏秋冬の食も分類する。まずは春。「わが妻に永き青春桜餅」(沢木欣一)。なぜ永き青春か。14歳ほど年上だった妻の俳人細見綾子は若くして前夫と死別し、独身生活が長かった。桜もちを見るたびに良い句だなと思う。
 「カステラに沈むナイフや復活祭」(片山由美子)もいい。普通のケーキなら「沈む」という動詞は使えないが、カステラはスポンジの密度がみっしりしており、そこにナイフを入れる。さらに「復活祭」の季語ともぴったりと合い、カステラがおいしそう。
 次は「夏」。「蜜豆のみどりや赤や閑職や」(北登猛)は、暇な部署に左遷され、おばさんばかりの中、なぜ俺は昼間に蜜豆を食べているのかという句か。緑の寒天や赤エンドウ豆に対し、自分の閑職ぶりを嘆息している。
 「食ひ物の名は限りなしつゆの雨」(石川桂郎)は、死期が近い時に食べたいものの名を挙げられるけれど食べられないという切ない句。この句は、61歳で亡くなった私の父を思い出す。「治ったら食べたいものリスト」を手渡され、そこには昔の洋食がいろいろ書いてあった。
 青森と言えばシャコ。お花見の時に食べるそうだが、歳時記では初夏に産卵するから夏に入っている。「蝦蛄(しゃこ)といふ禍々(まがまが)しくて旨きもの」(長谷川櫂)。「禍々しい」とは本当にうまい。確かに見た目は「何これ?」だが、おいしい。食わず嫌いの私自身、青森で10年前にいただき、シャコの概念が変わったので、大いにうなずける句だ。
 今回、「おいしい俳句」をテーマにした理由の一つに、思い出がすべて食べ物とつながっていると思ったこともある。幼稚園時代の私は極端に食べるのが遅く、弁当を食べ始めるとなかなか終わらなかった。一口食べては遠くを見てフーッとため息をつく。いまも相変わらず遅いが。
 20代の私は、とても厳しかった前夫の姑(しゅうとめ)の療養の世話に明け暮れた。姑は最後の2カ月は毎日、冷やそうめんとトマトだけ食べていた。そのおかげで、私はこれらを20年間食べられなかったが、いまは好きだ。
 先ほど話した父の「治ったら食べたいものリスト」は実家に保存しており、いまだに見ると切ない。人工透析を受けていた母は、好きなスイカをあまり食べることができず、棺(ひつぎ)には余市(北海道)のスイカを切って真っ白な布団に散らせた。存分に食べてほしいと泣きながら散らせたが、見た目はシュールだったはず。これらから思ったのは「最後に食べるものは」「棺に入れてもらいたいものは何か」。私ならウニかアワビか。
 食を俳句にする際、一番大事なのはどこで、誰と、どんなものを食べたか。さらに自分がどんな状況だったかで印象は異なる。砂をかむような思いで食べたものもあるだろうし、幸福感いっぱいでのどを通らなかったこともあるだろう。
 結局、食べることは生きていくことなのだ。その行為は詩のメインになり、詩にできるのがこの詩型のぜいたくさ。皆さんもぜひ、おいしそうな俳句、おいしい俳句を作って俳人ライフを豊かにしてほしい。