みなさんは、四十数年前の野球少年に大人気だった「野球狂(やきゅうきょう)の詩(うた)」というマンガを知っていますか。その中でひときわ輝(かがや)いていたのが、女性(じょせい)初のプロ野球選手「水原勇気」。背(せ)番号(ばんごう)「1」の左投手は魔球(まきゅう)ドリームボールで強打者をきりきり舞(ま)いさせました。佐井中学校野球部唯一(ゆいいつ)の女子・小笠原(おがさわら)星(あかり)さん(3年)も背番号「1」のサウスポー。小笠原さんはこの夏、チームの仲間とともに最後の大会に臨(のぞ)みました。夏の甲子園(こうしえん)大会に負けないほどの熱い思いでグラウンドで躍動(やくどう)しました。
小笠原さんは高校球児だった父親の影響(えいきょう)で小学3年から野球を始め、中学でも迷(まよ)わず野球部に入部しました。全校生徒39人の同校は部活動が少なく野球部員も13人ですが、6月の下北地区の中学総体(そうたい)で34年ぶりに優勝(ゆうしょう)。県大会は初戦で敗れましたが、小笠原さんも登板することができました。
同校は7月末、八戸市で行われた県少年軟式(なんしき)野球大会にも下北地区代表として出場しました。1回戦の相手は弘前市東目屋(ひがしめや)中学校。外野手で先発した小笠原さんは、6点差をつけられた四回途中(とちゅう)から登板。持ち味の制球力(せいきゅうりょく)と、落ち着いたマウンドさばきで投げ続けました。ピンチの時も心掛(こころが)けている笑顔(えがお)を忘(わす)れませんでした。
チームは終盤(しゅうばん)、追い上げを見せましたが、試合は6-12で敗れました。「調子は良くなかったけれど、悪いなりに投げることができた。チームとしても助け合う野球がしっかりできてよかった」。小笠原さんは、小学校以来の仲間との最後の試合を終え、涙(なみだ)が止まりませんでした。そんな小笠原さんに、同じ投手の岡村(おかむら)弦音(げん)主将(しょう)(3年)は「冬場の走り込(こ)みなど、見えないところで努力してすごく伸(の)びた」とたたえました。 小笠原さんの“夏”はまだ続きます。23日から始まる全日本中学女子軟式野球大会(京都府)に、青森ゴールデンボンバーズシニアの投手として出場。しかも背番号は「1」。「エースナンバーをいただいたので、チームがリズムをつくれる投球をしたい。優勝が目標です」。マウンド上と同じ笑顔で話してくれました。