県内に残っている10体目の「青い目の人形」と分かり、野辺地町に寄贈(きぞう)された「レイワちゃん」の歓迎会(かんげいかい)が6月24日、野辺地小学校で開かれました。町内3小学校の児童ら約400人が集まり、人形に込(こ)められた国際親善(こくさいしんぜん)や平和の大切さを、あらためて胸(むね)に刻(きざ)みました。
レイワちゃんは92年前、同町にあった城内(じょうない)尋常(じんじょう)高等小学校に贈(おく)られました。歓迎会では、青い目の人形を研究する生島(おじま)美和(みわ)・弘前学院大准教授(じゅんきょうじゅ)が、米国から贈られた経緯(けいい)などを説明。戦時中「敵国(てきこく)の文化」として、燃(も)やされそうになっていたところを、教師(きょうし)だった故(こ)渕沢(ふちさわ)芳郎(よしろう)さん=青森市=が救い出し、戦後大事に保管(ほかん)してきたことを紹介(しょうかい)しました。
児童を代表し、馬門小4年の橋本(はしもと)悠聖(ゆうせい)君、若葉小5年の横濱(よこはま)みうさん、野辺地小6年の棟方(むなかた)喜活(よしかつ)君の3人が「これから一緒(いっしょ)に過(す)ごしていきましょう」「救ってくれた渕沢さんの勇気を大事にしていきたい」などとあいさつ。続いて3校の児童が合唱し、長い年月を経(へ)て帰ってきたレイワちゃんを温かく迎(むか)えました。
野辺地小6年の田中侑愛(ゆあ)さんは「もう戦争をしてはいけない-ということを、広めたいと思った。心の中でレイワちゃんとたくさん話をしたい」と話しました。
レイワちゃんは東奥日報の記事がきっかけとなり今年4月、青い目の人形と確認(かくにん)されました。渕沢さんの妻(つま)和子(かずこ)さん(91)が新元号にちなみレイワちゃんと名付け、5月に寄贈しました。町は今月1日から、町中央公民館で人形を展示(てんじ)しています。
<青い目の人形> 1927年、米国から日本に約1万2千体、青森県には約220体が贈られました。当時、悪化していた日米関係を良くしようと、米国の宣教師(せんきょうし)が子どもたちに人形を贈る運動を呼(よ)び掛(か)けて実現(じつげん)しました。でも戦時中の43年、人形は日本国内で「敵国のスパイ」などと敵視(てきし)され、国の命令で焼却(しょうきゃく)されたり、壊(こわ)されたりしました。現在(げんざい)、全国で確認(かくにん)できるのは300体ほどです。