先日、仕事仲間と一緒に、街角の小さなレストランにいった。気どった店ではない。テーブル席が四つ、五つ、あとはカウンターという普通の店である。

 先客が一組いた。若いサラリーマンふうのグループだ。ワイシャツを腕まくりして、ビールのジョッキを前に大盛り上がりである。

 一人が何か言うと、全員が大声で笑う。その笑い方が尋常ではない。壁に掛かった絵が落ちかねないほどの、絶叫にちかい笑い声なのだ。

 楽しく笑っているというより、むしろ悲鳴にも似た異様な感じだった。あまり賑(にぎ)やかなので、仲間と顔を見合わせて、一瞬、店を出ようかと思ったくらいである。

 しかし、金曜の夜だったし、いちばん混む時間でもあったので、その店のテーブルについた。そして食事中ずっとそのグループの笑い声に悩まされることになった。本当に卓上のコップの水が揺れるほどの笑い方だったのである。

「よっぽど楽しいんだろうね」

 と、こちらの仲間の一人が首をかしげて言う。

「あんなに笑えるなんて、うらやましい限りだ」

「どうかなあ」

 と、ほかの一人が、ちょっと皮肉な口調で、
「よほど会社の仕事が辛(つら)いんじゃないの」

 店内が揺れるような笑い声をよそに、私たちは黙々と食事をした。その日の仕事は、かなり大変で疲れてはいたが、精神的には非常に充実し、みな満足した気分だったのである。いろいろ喋(しゃべ)らなくても、お互いにそのことは通じあっていた。いわば充足した静かさ、といった感じだったのだ。

 仲間の一人が何か言うと、みながちょっと微笑してうなずき合う。隣の席の絶叫にもちかい笑い声の連続のなかで、私たちは無口で食事を終えた。

 そのとき私が思い出していたのは、若い頃、ヘンリーさんと一緒に、ラスベガスを訪れたときのことだった。

 ヘンリーさんとは、アメリカの代表的な作家だった故・ヘンリー・ミラー氏のことである。私たちは気軽にヘンリーさんと呼んでいたが、気さくで不思議な魅力のある小説家だった。

 夜、英語の達者な友人に案内されて、ステージのショウを見にいった。歌や踊りの合間に人気のある男性の語り手がでてくると、なにやら面白そうな話をした。彼が言葉を発するたびに満員の観客が、大爆笑する。文字どおり、腹を抱えて笑い転げるのだ。前の席のビジネスマンふうの男性など、涙を流して笑っていた。私は思わず呟(つぶや)いた。

「アメリカの芸人さんは幸せだね。客が笑おうとして必死で待っているんだもの。ひとことなにか言うだけで大爆笑。日本人の客は斜に構えて、なかなか笑おうとしないからね」

 私のその言葉を友人がヘンリーさんに通訳すると、彼は首をふってこう言った。

「いや、アメリカ人はみんな、ふだん死ぬほどストレスを抱えているのさ。必死で笑ってるんだよ。可哀相(かわいそう)に」

 戦後七十余年、日本人はずいぶんよく笑うようになった。最近なんとなくヘンリーさんの言葉を思い出すことがある。