「人生七十古来稀(まれ)なり」

 と歌ったのは、言うまでもなく中国唐代の詩人、杜甫(とほ)である。

 古稀(こき)という言葉は、その詩に由来する。

 しかし「稀」という文字が常用漢字にはないので、最近ではもっぱら「古希」と書くらしい。

 まあ、それはそれで仕方がない、と思っていた。「希」は「希望」とか、ポジティブな使われかたもあるので、老人にも希望がある、と受けとれないでもないからだ。

 しかし、あらためて「希」の意味を調べてみると、「まれな」とか「すくない」とかいう意味がもっぱらである。「古希」でも一向にさしつかえないらしいと納得した。

 中国の詩文というのは、誇張や文飾に特長がある。「白髪(はくはつ)三千丈(さんぜんじょう)」などとからかわれるゆえんだ。「古来希なり」で七十歳。となれば八十歳など望むべくもない。実際に杜甫は五十代で世を去っている。

 一方、「人は四十歳までぐらいに死ぬのが理想だ」みたいな事を書いた兼好(けんこう)法師は、なんと七十あたりまで生きたそうだから、世の中はままならぬものである。

「人生五十年」といわれたのは、すでに昔の話だ。いまは当たり前のように「人生百年時代」という表現が目につく。

 杜甫がもし生きていれば、
「人生百年当今稀ならず」

 と、歌ったかもしれない。

 どうも実感がないが、現在、私たちは二つの歴史的現実に直面している。それは人類史上はじめての異常な現実だ。

 一つは人が百年生きる時代がきた、ということ。

 もう一つは、地球上の人口がやがて百億に達するだろう、ということ。

 この二つの事実は、よくある虚仮(こけ)おどしのフェイクニュースではない。

 百歳人生はすでに現実である。これを否定する根拠はどこにもないだろう。

 地球上の総人口は、現在、約七十億人以上とされている。この百年間の増えかたは爆発的としか言いようがない。敗戦の頃はなんと二十億人台だった。先進国の人口減少傾向とは裏腹に、地球上の人口は日々、激増を続けている。最近では十年間で約十億人の増、という。全地球上の人口百億人、というのは、正真正銘の未来なのである。

 この両方とも、人類史上はじめての出来事であり、未曽有の大事件ではあるまいか。

 百歳人生と百億人口。その気の遠くなるような事実に、ただ呆然(ぼうぜん)と立ちすくむばかりだ。

 私たちは目の前の小さな出来事には気をとられがちだが、問題があまりにも大きいと視野からはみだしてしまう傾向がある。

 百億人口。

 百歳人生。

 どちらも異常な変化としか言いようがない。

 なるようになるさ、という意見もあるだろう。

 杞憂(きゆう)、という中国の故事もある。しかし、これは事実なのだ。考えても仕方がない、というニヒリズムだけには陥りたくないのだが。 (作家)