このところ、いろんな場所で昔の話をさせられることが多い。新聞や雑誌、テレビのインタビューなどでもそうである。

 そのことにいささか飽き飽きして、若い編集者相手に愚痴をこぼしたことがあった。

「過去の話ばかりさせられるんだよ。未来のことについてきく気はないのかね」

 すると、相手の青年は肩をすくめて、

「五木さん、おいくつになられました?」

「八十六になった」

「無理もないですよね。そのお歳(とし)で明日の話といっても」

 言いにくいことをスラッと言うのも、ちかごろの若者の特徴である。

 『俺たちに明日はない』という映画がむかし大ヒットしたことがあった。あれは若者たちの閉塞(へいそく)感を描いた作品だったが、いまはわが身である。

 私も若い頃は「過去を語らず」という言葉をモットーとして粋がっていた時期もあった。

 しかし、私は最近、むしろ積極的に自分の生きた時代について語ろうと腹を決めた。たとえそれが恥ずかしい記憶であろうと何であろうと、語る義務があるような気がしてきたからである。

 過去にこだわり過ぎるのは意味がない。しかし、まったく過去が忘れ去られるのもよくない。このごろ、しきりにそう思うようになってきたのだ。

 私が言っているのは、歴史とか伝統とかいった、重く大きなものをさしているわけではない。ほんの六、七十年前の近過去のことである。言葉ひとつとっても、その変遷はすさまじい。きのうのことは、ないも同然だ。

 先日、ある出版社で、

「引揚者という言葉にルビをふりますか」

 と、きかれた。ルビとは振り仮名のことである。

「え? 引揚者という文字にルビが必要ですかね」

「最近、ヒキアゲモノと読む人がいますから」

 戦前、戦中、数百万人の在外邦人がいた。戦後、それらの人びとは故国へ帰還し、その間にさまざまな悲劇があった。彼らは引揚者と呼ばれ、帰国後も幾多の苦難に直面しなければならなかった。

 フランスでは、同じく植民地に住んだ人びとを〈ピエ・ノワール〉と呼んだという。直訳すれば〈黒い足〉だ。

 私は戦争の悲劇を体験したのは、軍人だけではないと考えてきた。一般国民もまた深い苦しみをあじわったのである。

 三十代の頃、思いたって録音機をかついで各地の町や村を回ったことがあった。引き揚げてきた人びとの記憶を資料としてまとめておきたかったのだ。

 しかし、その試みはあえなく挫折した。本当に辛(つら)い体験をした人びとは、口をとざして、
「いまは、おかげさまで何とかやっておりますから」

 と静かに微笑するだけだったのである。

「不語似無憂(カタラザレバウレイナキニニタリ)」という言葉が、そのときほど身にしみたことはなかった。