私の父親は一時期、呼吸法に凝っていたことがある。大正時代に一世を風靡(ふうび)したといわれる岡田式静坐(せいざ)法とかいう健康法だ。

 かつて岡田虎二郎というカリスマ的指導者がいて、大変なブームを巻きおこしたものらしい。

 当時は全国に岡田式を実践する「静坐会」という催しがあり、多くの有名人が参加した。田中正造、相馬黒光(こっこう)、坪内逍遥(しょうよう)、安田善次郎、渋沢栄一、中里介山(かいざん)、島村抱月(ほうげつ)、など錚々(そうそう)たる人びとが名前をつらねている。

 『岡田式静坐法』という本は、大ベストセラーになったし、正式な会員だけでも二万人を超えるという人気ぶりだったそうだ。

 しかし、このブームは一朝にして消え去る。ご本人が四十九歳のときに急死したのが原因であるらしい。

 それまでの熱烈な信奉者は、いっせいに離散する。現金なものだが、それも当然だろう。健康長寿を願ってのファンだから、ご本人が元気でなければ話にならない。しかし、根強い人気は虎二郎の死後も残った。昭和にはいっても、岡田式を実践する人は少なくなかったようだ。私の父親もその一人である。

 子供の私はすこぶる好奇心が強く、父親の呼吸法を、こっそり真似(まね)したものだった。おそらく忍術みたいなものと感じていたのではあるまいか。

 そのうち父親は岡田式をやめて、こんどは中山式とかいう新しい呼吸法を始めた。四角な金属の機械を腹につけて、深い呼吸をするとそれがチーンと澄んだ音で鳴る仕掛けだ。

 これは面白いと、父親の留守にそれを下腹部に巻いて、チーンと鳴らしては得意になっていた。今にして思えば、変な小学生だった。

 敗戦後、しばらくは呼吸法のことなど忘れていたが、インドやブータンなどを旅しているうちに、再び興味がよみがえってきた。

 白隠(はくいん)禅師の『夜船(やせん)閑話(かんな)』などに刺戟(しげき)されたこともある。

 また、『アーナーパーナ・サティ・スートラ』という本にも関心を持った。これはブッダの説いた呼吸についての教えで、中国では『大安般(だいあんぱん)守意経(しゅいきょう)』として伝えられている経典だ。「アーナーパーナー」は吸う息吐く息、「サティ」は、気づき、とか、注意とかいった意味らしい。『呼吸についての心がけ』という意味でもあろうか。

 そんなこんなで、四十歳ぐらいの頃から呼吸にあらためて関心をもつようになった。

 私は大阪人のいうイラチで、我慢というものができない性(たち)である。車に乗っていても、赤信号が長いといらいらする困った性分だ。

 私が呼吸法の実践をするのはそんな時である。五つ数えて吸って、二十数えるまでゆっくり吐く。そのうち信号が青に変わる。ストレスを感じたとき、腹を立てた時にもやる。そのたびに父親のことを思い出すようになった。彼はなぜ呼吸法に凝っていたのだろうか、と。