東京パラリンピック・シッティングバレーボール男子日本代表で弘前市出身の田澤隼(たざわ・じゅん)選手(29)=リクルート=が6月、同市の津軽中学校と石川中学校で講演会(こうえんかい)とシッティングバレーの体験授業(じゅぎょう)を行いました。
田澤選手は同市の岩木小学校、津軽中学校、弘前工業高校でバレーボールに打ち込(こ)み、高校3年生の時にはリベロ(守備(しゅび)専門(せんもん)のポジション)として全日本高校選手権(せんしゅけん)(春高バレー)に出場。社会人チームでプレーしていた19歳(さい)の時、祖父母(そふぼ)のリンゴ園で収穫(しゅうかく)を手伝っていた際(さい)に事故(じこ)で右脚(みぎあし)を失いました。弘前学院大学時代に、腰(こし)を浮(う)かさずにプレーするシッティングバレーと出合い、練習を重ねてパラリンピック代表の切符(きっぷ)をつかみました。
田澤選手は講演で事故当時を振(ふ)り返りながら「困難(こんなん)があって落ち込んでしまっても、プラスに考えて挑戦(ちょうせん)できれば自分の世界が広がっていく」と生徒たちにエールを送りました。
母校の津軽中では、全校生徒約230人が競技(きょうぎ)を体験。10人ほどが車座(くるまざ)になってラリーを何回続けられるかのゲームをしたり、田澤選手もコートに入って試合をしました。
小学生のころ田澤選手に遊んでもらったという鳴海皇駕(おうが)さん(津軽中3年)は「数年ぶりに会ったけれど変わらずかっこよかった」、バレーボール部の佐藤心優(みゆ)さん(同)は「田澤選手のようにポジティブに明るく考えられるようになりたい」と話しました。田澤選手は「元気な後輩(こうはい)たちに会うことができて、こちらも元気をもらえた。生徒たちには、『壁(かべ)は越(こ)えられる』と知ってほしい」と話していました。