沖縄は23日、77年前の太平洋戦争末期、侵攻してきた米軍との組織的な戦闘が終結されたとされる「慰霊の日」を迎えた。

 本土防衛のための「捨て石」とされ、激烈な地上戦に見舞われた沖縄。サンフランシスコ平和条約では日本から切り離された。その沖縄が日本に返還されて50年になる。

 だが、今取り沙汰されているのは、再び沖縄を戦場としかねない安全保障政策の議論だ。

 ロシアのウクライナ侵攻によって大きく揺らぐ国際情勢の中で、中国が武力によって台湾を統合するのではないかという「台湾有事」が語られる。台湾有事が起きれば、日本を巻き込む事態になるのは確実だ。

 その時、真っ先に攻撃対象となるのは米軍基地が集中する沖縄だろう。そして基地だけでなく周辺の人々に被害は及ぶ。

 かつての沖縄戦では、県民の4人に1人が犠牲になったとされる。その歴史を忘れてはならない。何よりも地域の緊張を緩和し、有事を招かない外交戦略が求められている。

 ウクライナ侵攻で伝えられるのは、市街地が破壊され、家を失ってさまよう人々の姿だ。沖縄全戦没者追悼式の「平和宣言」で、玉城デニー知事は「無辜(むこ)の市民の命が奪われ続けている。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われている」と述べた。平穏な日常生活がある日を境に激変する現実。それは沖縄でも起こりうることだ。

 中国の軍備拡張に対応するように、自衛隊の南西諸島配備が進められている。それは日本防衛のためだけではない。中国が台湾を武力統一しようとする「台湾有事」に、日本がどう関与するかも検討されている。

 しかし、そこでは沖縄に暮らす人々が受ける被害が考慮されているのか。国民保護法に基づく住民避難計画は、不十分と言うしかない。

 玉城知事は「平和な社会を創造するには、国際社会が連携し、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが今、求められている」と強調した。「二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けていく」。この言葉は今、重く響く。

 岸田文雄首相は追悼式で「沖縄には米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている。基地負担の軽減に全力で取り組んでいく」と述べた。だが、型通りの言葉で、歴代政権が基地問題に真正面から取り組んできたとは言い難い。

 「こわいをしって、へいわがわかった」。追悼式で小学2年生の徳元穂菜(ほのな)さんが朗読した「平和の詩」の一節だ。徳元さんは、原爆被害の絵で知られる画家の丸木位里・俊夫妻が描いた沖縄戦の絵を見て震えた。

 詩はこう続く。「おかあさんが、77年前のおきなわの絵だと言った」「せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいにおとさないように」

 これは為政者に向けられた厳しい言葉だ。今の政治家に固く平和を守るという決意があるのか。沖縄に暮らす人々からも、あらためて問いを突きつけられている。