講演する夏井いつき氏

 東奥日報社、東奥日報文化財団主催の第72回青森県俳句大会が21日、青森市のリンクステーションホール青森で開かれた。特別選者で俳句集団「いつき組」組長の夏井いつき氏による記念講演「俳句を創る 街を創る」の要旨を紹介する。

 (出演中のTBS系人気番組)「プレバト!!」でやっていることは、日常の句会と何一つ変わらない。良い作品は「良い」と言い、納得できないものは「ここがおかしい」と言う。

 何が違うかというと、普通の句会は「選」という名のふるいに掛けて残ったものが議論の俎上(そじょう)に上がるので、番組のように(素人の芸能人らによる)下手な句を添削することはほとんどない。4年前の出演当初は、「こんな下手な句は添削できない」と番組スタッフとよくけんかもした。

 4年で何が変わったかというと、スタッフの「俳句脳」が育って、番組の途中で入れる句の解説が格段と分かりやすくなったこと。

 そして、私自身も添削の腕が多少上がったと思う。「下手な句を添削し続けて何の得があるのか」とずっと疑ってきたが、4年間それなりに真面目に続けていると、日本語のメカニズムというのが分かってきた。

 いずれは、添削をする側の心得や、添削をしてもらった側の学びの仕方というものをひっくるめて、一冊の本にしたいなと思っている。あの番組で一番得をしたのは私かもしれない。

 普通の俳句の世界は結社というピラミッド型の組織があり、その上に主宰がいる。主宰と師弟関係を結んで勉強をするのが俳句結社という組織。私も「藍生(あおい)」という結社の一員で、師匠は黒田杏子(ももこ)。その一方で、私が仲間たちとやっている俳句集団「いつき組」は、結社のようなピラミッド型の組織を持っていない。

 例えるなら、広場のようなもの。広場のど真ん中、ちょうど噴水があるあたりに、「組長」と勝手に名乗っている私がぽつねんと立っている。時々、新聞や雑誌の取材で「構成員は何人いるんですか」と聞かれるが、組員が何人いるかなんてことは全く分からない。なぜなら入会の届け出のようなものもないし、組織図もないし、入会資格もない。みんなが勝手に名乗っていい。「俳句って楽しい」と思う人は勝手に名乗ってください、そして名乗るついでに俳句の種まきを手伝ってくださいと言っている。

 「俳句の裾野を豊かにする」という活動は30年近く続けている。その一端が、「プレバト!!」のようなマスコミを使った広報活動。もう一つは学校で行う「句会ライブ」という俳句の授業。生涯学習としての句会ライブもある。俳句と縁もゆかりもないと思っている人たちも含めて「チーム裾野」と呼んでいるが、その人たちに「俳句の種」を届ける活動をやっている。

 その活動が形となって実ったのが、今年で21回目を迎えた「俳句甲子園」(毎年夏に松山市で開かれる高校生の俳句全国大会)。俳句甲子園という言葉に出合ったのは、二十数年前のこと。第1次構想がお金の都合でだめになり、第2次構想が動きだした時だった。

 仲間がどんどん集まり、発起人会の開催までたどりついたが、その席上で、全てがぶっつぶれるという非常に情けない思いをした。恥ずかしい話だが、夢だけがふくらんで、莫大(ばくだい)な予算を出す人がいなかった。

 その後、第3次の構想で出会ったのが、地元の松山青年会議所の青年たち。私の講演を聴いて「僕たちと俳句甲子園をやりましょう」とまっすぐなまなざしで言ってくれた。俳句のはの字も知らない青年たちで、予算の問題も消えなかったが、「小さく産んで大きく育てればいいんだ」と思い、そこから青年会議所との二人三脚が始まった。

 「俳句の都」松山といえども、当時は俳句を楽しむ高校生なんかどこを探してもおらず、愛媛県を3ブロックに分け、分担して全ての高校にお願いに行った。

 門前払いされることも多かったが、それでも何とか9校11チームが集まり、第1回大会を開催するまでにこぎつけた。参加チームの中で唯一、自分たちから手を挙げてくれたのが県立松山盲学校の生徒たちだった。

 俳句甲子園では、大きな短冊に俳句が書かれ、相手チームの作品に対して改善点のポイントを的確に指摘できているかを競う。作品が見えないのは大きなハンディになるが、生徒たちは「2回読んでくれたら大丈夫」と言ってくれた。

 大西さんという女の子が出した<七夕や君の心も晴れですか>という句に、俳句のことは分からないと言っていた青年会議所の面々も感動していた。その時の感動が、今も彼らの活動の意欲として胸の中で温められているのだろうと思う。

 今や俳句甲子園は、北海道から沖縄まで二十数カ所の地方大会を勝ち抜いた高校生が松山を目指すという大きな大会となり、当初思い描いたような形になってきた。とにかく人手が足りないが、かつて俳句甲子園に参加したOB・OGたちがボランティアスタッフとして松山に里帰りをしてくれるという形も生まれた。

 松山にはいま、俳句を一本の核にして、観光、経済を動かしていこうという考えがある。俳句甲子園を見に来てくれる人たちも格段に増え、生徒だけでなく、父母や祖父母の皆さんも応援団として来てくれる。

 「俳句ってすごい」「日本語って面白い」。そういうことを言ってくれる高校生がどんどん生まれ、その現場を見た人も自分自身の俳句を活性化するために来年もまた来ると言ってくれる。本当にうれしいこと。

 この6月、松山市の道後温泉の一角に「伊月庵(いげつあん)」という句会場を建てた。伊予(愛媛の旧国名)の月と書いて「伊月(いつき)」というのは、実は私の本名。祖父が囲っていた芸者の名前というのを、大学生になって祖母から聞いて知ったが(笑)。

 伊月庵には、酒を持ち込んでもよし、好きなときに県外から吟行旅行で来た皆さんが句会をできるようにした。私が伊月庵にいるときは顔を出そうと思っているので、今日から積み立てをして、俳句の都松山に来ていただけたらうれしい。

 俳句はどういう使い方をしても、お金にからめても俳句が汚れるようなことはない。俳句というのは、強靱(きょうじん)で美しい文学であると、私は心から信じている。