「応援してくれる地元の人に恩返しを」と語り、一層の飛躍を期す田中さん=都内のスタジオ

 マイクを握ると独特の甘い声が広がる。陽気で軽快な響きもあれば、哀愁漂う時も。

 「テンポが少しゆっくりめなので、もう少し上げてください」

 4月下旬、都内のスタジオ。歌い終えた田中けいとさん(22)=黒石市出身=が、バックの「C&Hスカイジャズオーケストラ」に注文する。東京・銀座で5月29日に予定される「美空ひばり生誕祭」に向けたリハーサルに熱がこもってきた。オーケストラは、ひばりのバンドの元メンバーが中心だ。

 田中さんはバンド専属歌手として、数多くあるひばりの曲を歌い続ける。きっかけをつくったのは41歳で早世した母才子さんだった。療養中の母が借りていた1988年の東京ドーム・こけら落としコンサートに出演したひばりのDVDを一緒に鑑賞。翌年亡くなるひばりだが、体調の悪さを表に出さないプロ根性に田中さんは見入った。

 ひばりについて才子さんはこう語ったという。「すごい人だったんだよ」

 以来、ひばりは憧れの人であり、目標として意識するようにもなった。

 その後、地元のイベントに出演し評判を呼んだ田中さんの姿が音楽関係者の目に留まる。中郷中時代の2015年に「ひばり唄」でCDデビューを果たす。

 自身が生まれる10年以上前に亡くなった大歌手は、仰ぎ見る存在である。「楽譜通りに歌ってもつまらない。でも崩せば良いわけでもない。料理で言えば、どのタイミングで調味料を加え、隠し味を入れるか。それはひばりさんにしか出せない味だと思う」

 到達点は見えず今も模索し続けている。「その時に自分の持っているものを全て使い、曲ごとに、その世界になじむように、溶け込むようにと心がけている」

 上京して4年目。「心が折れそうな時は何度もあった」と、芸能界での道のりの厳しさを明かす。新型コロナウイルス禍で、出演を予定していたイベントやライブがことごとく中止に追い込まれ、ステージに立つ機会が奪われたことも痛かった。運転送迎の仕事をかけ持ちしながら、飛躍の機会をうかがう。

 古里の黒石は「自分の原点であり、一番落ち着くところ。ずっと支えて応援してくれる人々の存在が励み。離れていても、忘れてないでいてくれる地元の方々の応援は本当にありがたい」と感謝する。

 そんな田中さんをスカイジャズオーケストラのバンマスで同郷(旧平賀町出身)の福士明文さんが温かく見守る。「もっとレッスンを重ねて歌の力を磨き、芸能界に自分のポジションを見つけてほしい」

 今年一番のイベントと位置付けるのは8月6日、平川市文化センターで開かれるスカイジャズオーケストラのコンサートへの出演だ。「地元への恩返しのためにメディアに出る機会を増やし、いつかは紅白歌合戦に」と将来を語る目が輝く。

 ◇

 <たなか・けいと 2000年黒石市生まれ。本名恵土。中郷小5年時に母を亡くす。11歳の頃から祖母の影響で、昭和の歌を好んで歌う。黒石時代は独学で歌唱力を磨いた。19年3月、黒石商業を卒業後に上京。21年6月からスカイジャズオーケストラの専属歌手となる。身長178センチ>