• 2015年11月22日(日)

第68回東奥賞

 東奥日報社が文化、芸術、産業など各分野で活躍し、本県の発展に貢献があった個人・団体に贈る第68回東奥賞が決まった。今年は、国民的歌手・作曲家として活躍する吉幾三さん(五所川原市出身)と、最先端の不整脈治療で日本をリードする弘前大学大学院医学研究科循環器腎臓内科学講座(奥村謙教授)に贈る。

 吉幾三さんはデビューから42年、数々のヒット曲を出し、本県にちなんだ楽曲も数多く、広く県民に愛唱されている。テレビドラマや映画、舞台など幅広いジャンルで活躍しており、国民的な人気を得ている。

 弘大循環器腎臓内科学講座は、脳梗塞の原因にもなる心房細動(しんぼうさいどう)を引き起こす心臓の筋肉をカテーテル(管)で焼き、根本的に治癒する「カテーテルアブレーション」術で大きな成果を挙げ、全国から注目を集めている。贈呈式は12月5日午前11時から青森市のホテル青森で行う。

▼国民的歌手 吉幾三さん/故郷「雪國」 人々の心に
▼弘前大学大学院医学研究科循環器腎臓内科学講座(奥村謙教授)/不整脈治療 長年けん引

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五所川原立佞武多の特設ステージで「ヤテマレ!ヤテマレ!」と熱唱する吉幾三さん=2005年8月

写真 津軽人の魂揺さぶる/五所川原市長 平山誠敏さん

 当市の祭りを歌った「立佞武多(たちねぷた)」を発表されたのが2001年のこと。以来、8月の祭りには欠くことができず、街の中ではいたる所から、この歌が流れ、祭りの機運を盛り上げる。初日、吉さんの熱唱により、この一年間ためていたエネルギーが一気に噴出し、五所川原立佞武多の幕開けを迎える。

 五所川原の夜の街では、この曲が流れない日は一日も無い。地元に愛され、津軽人(びと)の魂を揺さぶる名曲「立佞武多」。風雪が吹き荒れる厳しい気候、その中で育まれた文化、そして精神。五所川原が生んだ、歌手であり、作曲家であり、エンターテナー。これまで生んだ数々の名曲に加え、今後もたくさんの魂に響く曲を生み出し、五所川原市民、青森県民、そして日本国民の心に熱い想いと安らぎと感動を与えていただきたい。市民を代表して東奥賞の受賞に心よりお喜び申し上げ、今後より一層のご活躍とご健勝を祈念申し上げる。

国民的歌手 吉幾三さん/故郷「雪國」 人々の心に

 「俺ら東京さ行ぐだ」「雪國」「酒よ」でミリオンセラー(百万枚以上)を記録。作詞・作曲家として提供した曲もヒットするなど、演歌の世界ではまれなシンガー・ソングライターとしての地位を確立している吉幾三さん。本県を全国に発信し続けてきた功績は絶大だ。

 本名・鎌田善人。1952(昭和27)年旧金木町生まれ、金木南中学校卒業。「いつか紅白(歌合戦)出場歌手になってみせる」と思って上京し、作曲家の故・米山正夫氏に師事した。73(昭和48)年、山岡英二の芸名でアイドル歌手としてデビューも、ヒットに恵まれなかった。

 数年後。飲食店などで冗談半分に歌っていたという自作のコミカルな曲がレコード会社側の目に留まり、77(同52)年11月、吉幾三に改名して「俺はぜったい!プレスリー」としてリリース、話題となった。同曲からシンガー・ソングライターとしての活動を本格化し、映画やドラマなどにも出るようになった。

 その後、なかなかヒットを生み出せなかったが84(同59)年、歌手・千昌夫に提供した「津軽平野」が当たった。千の支援も得ながら同年11月に発表した自らの「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットし、翌年の全日本有線放送大賞グランプリなどを獲得。当時の歌番組「ザ・トップテン」で吉さんの地元・津軽鉄道嘉瀬駅から全国に生中継されるなど、同曲で全国に吉さんの名前がとどろいた。

 本人も芸能活動で最も思い出深い出来事として「『俺ら東京さ行ぐだ』の地元からの生放送が一番強く残っている」と本紙にコメントを寄せた。

 ラップの要素も入った型破りな「俺ら-」に続き、86(昭和61)年に発表した正統派演歌「雪國」も大ヒットし、同年、初のNHK紅白歌合戦出場を決めた(以降16回連続出場)。「月並みだが、本当に夢のようだった。大恩人の千さんとの最初で最後の紅白共演で、とても感慨深い初出場だった」

 雪國は日本レコード大賞作曲賞など数々の賞を獲得。続く「酒よ」も含めてミリオンセラーを連発し、日本歌謡界に確固とした地位を築いた。

 作詞・作曲では、五木ひろし、美川憲一、山本譲二ら大物歌手に楽曲を提供。大手企業のCMソングや、テレビ番組のテーマ曲なども数多く手掛けてきた。新宿コマ劇場などでの座長公演も長年こなし、小松政夫、沢田雅美、川上麻衣子ら有名俳優たちと共演した。

 吉さんは長年、地方出身の芸能人には珍しく、故郷に居を構えてきた。各税務署がかつて発表していた高額納税者ランキングでは、上位の常連だった。地元・金木で無料のイベントを毎年開くなど、地元サービスを大切にしてきた。

 近年は「五所川原立佞武多(たちねぷた)」で自作の「立佞武多」を歌い、まつりを盛り上げている。吉さん目当ての観客も多い。

 25年ほど前から家族ぐるみで付き合いがあり、吉さんの地元での活動に深く関わってきた、五所川原市の会社社長、半田秀美さん(56)は「吉さんがふるさとを思う気持ちはすごく強い。吉さんの歌を聴いて、ここに住んで良かったと思う人はいっぱいいる。吉さんは青森県にとってすごい存在」と強調。吉さんの協力を得て2009年、自社の社屋2~3階の空きスペースに「吉幾三コレクションミュージアム」を開館し、吉さんの知名度を地域活性化に生かそうと努めている。

 芸能生活を振り返り、吉さんは「県民の方々に支えられ応援をいただきながら、歌手、作詞作曲家としてここまでやってこられたことと、デビュー後の不遇を乗り越え、故郷・金木に居を構えてからの三十数年、青森で生活できたことに感謝している」とコメント。「いろいろあった42年間だったが、もう少しだけ頑張ってみたいとも思っている。世界中の音楽を聴き、ジャンルのない音楽づくりをしていきたい」

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立体画像を見ながら、カテーテルアブレーション術を実施する奥村教授(循環器腎臓内科学講座提供)

写真 最新の技術 第一人者/弘前大学医学部付属病院長 藤哲さん

 弘前大学医学部付属病院循環器腎臓内科の奥村謙教授は現在日本不整脈心電学会の理事長です。日本の不整脈治療の第一人者として、診療・研究・教育を担ってきました。

 特にカテーテル・アブレーション治療に関しては早くから取り組まれ、現在の技術は最新のテクノロジーを駆使されていることが特徴です。日本各地から、多くの医師が技術習得のために当付属病院を訪れています。

 これにより、高難度な心房細動に対するアブレーションがより安全確実に短時間で施行できるようになっています。また、この技術の導入により、レントゲン透視時間が3.5分(全国平均50分)と圧倒的に短縮されました。さらに初期の心房細動の治癒率が、1年間で94%と良好な成績が報告されました。

 高齢社会においては、ますます最小侵襲手技が要求されます。まさに患者にも医師にとってもやさしい手技の開発と言えます。奥村教授ならびに循環器腎臓内科のさらなる活躍に大いに期待しています。

弘前大学大学院医学研究科循環器腎臓内科学講座(奥村謙教授)/不整脈治療 長年けん引

 心臓の一部・心房が不規則な動きを小刻みに繰り返す不整脈「心房細動(しんぼうさいどう)」。心房のポンプ機能が低下し、血流が心房内に滞まってよどむことで血栓ができやすくなり、脳梗塞の原因にもなる。国内の推定患者は150万~200万人。ときどき症状が出る「発作性」の患者を中心に動悸(どうき)、息切れ、めまいが見られるが、半分以上は自覚症状がない。

 弘前大学大学院医学研究科循環器腎臓内科学講座の奥村謙教授(63)は、心房細動を引き起こす心臓の筋肉を、カテーテル(管)の高周波電流の熱で焼き、根本的に治療する「カテーテルアブレーション」術に1991年から取り組むパイオニア。2009年から同講座では、企業と共同で、術中のエックス線被ばく量を抑える新テクノロジーの導入・普及に力を入れ、全国から注目を集めている。

 「一流の内科医であり、一流の科学者であれ」-。奥村教授は83~85年に米国アラバマ大学医学部に留学し、世界レベルの医療に触れてから、固く信念を持ち続けてきた。「患者の診療を通して新しいことを見いだし、発信する。診療だけでなく、科学に貢献することが極めて大切」と話し、最先端の研究に携わる。

 2010年、弘大に医療機器大手の「ジョンソン・エンド・ジョンソン」と「メドトロニック」による寄付講座「不整脈先進治療学講座」が開講。奥村教授らはエックス線透視に依存せず、コンピューターで心臓の立体画像を見ながらカテーテルを操作する新たな装置の使い方を企業と共同研究し、従来の手術では40~50分程度だったエックス線照射を3分程度まで短縮した。

 また、カテーテルを患部に当てる強さ「接触圧」の測定技術を国内で初めて導入。心臓を必要以上に傷付けることなく、最も効率よく治療できる強さが10~20グラムであると明らかにした。術後1年で再発しなかった心房細動の患者は、接触圧技術導入前の50人中41人(12年)から導入後の50人中48人(14年)に改善した。

 奥村教授は「私たちの結果を超えるものがあるのであれば、それに従う」と自信を見せる。二つの最新技術について講演を行う一方、全国から医師が不整脈専門研修施設である弘大に学びに訪れている。同教授は日本不整脈心電学会の理事長も務めており、「日本全体の不整脈診療と研究をリードしなくてはいけない。弘大で得た知見、経験を全国に広めたい。ますます教育・啓蒙(けいもう)活動に力を入れ、多くの患者さんに安心を与えていきたい」と力を込めた。

 同教授は熊本市出身。86年から熊本大循環器内科に勤務し96年、弘大医学部内科学第二講座(第二内科)教授に着任した。