東奥日報 東奥賞


第59回東奥賞

 東奥日報社が産業、芸術、文化など各分野で活躍し、本県の発展に功績のあった人や団体に贈る第五十九回東奥賞が決まった。今年は作曲家の菊池俊輔さん(75)=弘前市出身・東京都、舞踊家の豊島和子さん(77)=八戸市=と天内珪子さん(76)=青森市、五所川原立佞武多運営委員会=五所川原市=に贈られる。

 菊池さんは「ドラえもんのうた」をはじめ、人々に親しまれ夢をはぐくむ歌を数多く作曲。

 豊島さんは創作舞踊研究所を主宰して五十年、創作・現代舞踊一筋に国内外で活躍している。

 天内さんは本県バレエ界の草分けとして後進の指導など半世紀以上にわたって活躍している。

 五所川原立佞武多運営委員会は、市民の熱意で巨大ねぷたを復活させ、全国に知られる祭りに育てた。

 贈呈式は十二月二日午前十一時から青森市の青森国際ホテルで行われる。


東奥賞
  ▽ 菊池 俊輔さん(弘前市出身、東京都)−「ドラえもんのうた」を作曲、伝説のヒットメーカー
  ▽ 豊島 和子さん(八戸市)−創作舞踊研究所を主宰し50年、国内外で活躍
  ▽ 天内 珪子さん(青森市)−本県バレエ界の草分け、後進の指導に尽力
  ▽ 五所川原立佞武多運営委員会−巨大ねぷたを復活、県内屈指の祭りに



■ 時代超え愛される音楽
  菊池 俊輔さん(弘前市出身、東京都)

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数々の作品を生み出した自宅のピアノの前で「故郷からの賞はうれしい」と喜ぶ菊池さん
 「あんなこといいな できたらいいな−」で始まるテレビアニメの主題歌「ドラえもんのうた」。「菊池作品」であるこの曲は、一九七九年の放映開始以来、二十六年間にわたり、お茶の間に流れ、子どもたちに夢と希望を与えてきた。

 「今も歌い続けてもらえることがうれしい」。藤子・F・不二雄さんから贈られたセル画が飾られた自宅のピアノ前で、笑顔を見せた。

 テレビアニメ、子ども向け特撮番組、時代劇やドラマの音楽を数多く作曲してきた。代表作を挙げるだけで、いかに人々に愛され、時代の空気を伝える存在か分かる。

 アニメ「タイガーマスク」では、勇壮なオープニングと、哀調を帯びたエンディングの「みなしごのバラード」のギャップが、日本のアニメ音楽を変えたと評価される。

 「バビル二世」「ドカベン」「Dr.スランプ アラレちゃん」「キテレツ大百科」「忍者ハットリくん」「仮面ライダー」シリーズなど、子どもらの心を躍らせた作品は数知れない。「UFOロボ グレンダイザー」と「ドラゴンボール」がJASRAC国際賞を受賞。日本アニメが世界に広がる中、その業績はますます重みを増す。

 「弘前市と青森市の映画館をほとんどはしごした」と語るほどの映画好き。日本大学芸術学部を卒業後、六一年に映画「八人目の敵」で作曲家としてデビュー。以来「昭和侠客伝」「海底大戦争」「黄金バット」「トラック野郎 望郷一番星」など数多くの映画音楽も手がけた。

 「菊池俊輔が音楽を担当すれば、番組もヒットする」との伝説を生んだヒットメーカーで、時代劇「暴れん坊将軍」は八百回を超す長寿番組となった。

 「故郷からの賞はとてもうれしい」と受賞を喜ぶ。デビューから四十六年。半世紀近くにわたり音楽界の一線で活躍してきた。作品数は数万曲とも。二〇〇五年には三十年ぶりに復活した赤いシリーズ「赤い疑惑」の音楽を担当。今なお現役として、時代や世代を超えて愛される音楽を生み続けている。

写真 ◎根底にあるのは津軽(泊 懋さん=東映アニメーション代表取締役会長)

 丹波哲郎を中心に五人の刑事たちが歩いてくる「Gメン75」のオープニングは、菊池音楽の旋律にのって一世を風靡(ふうび)しました。刑事たちの鉄の意志と哀感を歌い上げていて、私たち制作者は番組の成功を予感して身震いしたものです。また大ヒットした「仮面ライダー」の曲のサビの旋律には同業の作曲者たちが脱帽していました。

 菊池さんの音楽の根底には津軽のネプタやジョンガラに流れる熱く燃えるものがあって、日本人の心を深いところで掴(つか)まえているからこそ、これほどまでの数々のヒット曲を生み出したのだろうと思っています。

 奥さまが素敵(すてき)な人です。美人で気立てがよくて、そこにえもいわれぬお国なまり(ご夫妻とも)があって人を温かく包んでくれます。良い人に東奥賞が輝いてとてもうれしい。



■ 静と動表裏一体の境地
  豊島 和子さん(八戸市)

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「踊りが好きなんですよ」。50周年記念発表会で、一途な思いでソロ「ピカイア」を踊る豊島さん
 戦後間もない一九五〇年。踊りに「自由」という二文字を見いだし、東京へ向かった。そして東京・日比谷公会堂で舞踊家江口隆哉さんの門下生として初舞台を踏む。演目はギリシャ神話を題材にした「プロメテの火」。暗黒の世界の炎の一人として体を揺さぶった。大きく、激しく長い髪を回転させた。「じわーっと涙が出てきて止まらなかった。暗黒の世界に溶け込んだという感じだった」

 幼いころから父に楷書(かいしょ)や隷書、木簡などの模写を厳しく指導された。

 青森師範学校に在学中、お茶の水女子大出の体育教師が今まで見たことがない、自由な発想の踊りをした。「これだな」と思った。「自分の体を使って『自由』に言葉を発するのがよかった」。舞踊家に踏み出すきっかけだった。

 五六年五月、八戸市内に「豊島和子創作舞踊研究所」を設立し、後進の育成を始めた。自身もドイツ、ベルギー、英国、オーストリア、フランス…と世界で舞踊表現を続けてきた。

 六四年には全国舞踊コンクール指導者賞、七六年県芸術文化奨励賞、二〇〇二年県文化賞を受賞した。

 八戸に拠点を移して半世紀後の今年九月十八日。研究所創立五十周年記念発表会「パンタナル」第四場で、ソロ「ピカイア」を踊った。

 アマゾンの奥地で太古の時代から受け継がれてきた生命を授かったイクシオイド(魚に扮=ふん=した踊り子)が、守護神(豊島)の周りを勢いよく飛び回る。

 自身は対照的に、厳かに生命の喜びを賞賛する。伸ばした手の先を見る眼は会場を突き抜け宇宙へ続く。「静」の中に「動」が宿る踊り。長年、踊りに取り組んで達した境地である。

 「舞踊は魂の叫びであり、ささやきである」とは、自身が五十年間大切にしてきた江口さんの言葉だ。「だから心から発して踊らないとだめ。踊りは自分の恥をさらけ出すこと。『静』と『動』は表裏一体」。奥深い熱帯林に分け入るように、その探求心は止まらない。

写真 ◎魂揺さぶられる舞台(山根 勢五さん=八戸ペンクラブ顧問)

 豊島和子さんとは長年の付き合いで、もう半世紀になります。いろいろな舞台を観(み)てきました。そのどれもが実にクリエーティブで、瞑想(めいそう)的で、いつも魂を揺さぶられてきました。

 凝縮し、炸裂(さくれつ)し、反転し、拡散し、昇華するステージの数々。今年で五十周年ということですが、この長い年月を豊島さんは、縄文以来の北国の歴史を掘り下げて舞台化し、現代社会の不条理に舞踊で挑み、海外公演の回を重ねて、未来社会へのアプローチを続けております。

 半世紀に及ぶこの時間軸と空間軸の交差する一点に、豊島さんの仕事があり、師江口隆哉さんからの「プロメテの火」が、美しい焔(ほのお)となって受け継がれているのではないでしょうか。



■ 子供に温かなまなざし
  天内 珪子さん(青森市)

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子どもたちにバレエの指導をする天内さん
 慢心せずに、希望を持って大空へ−。青森天内珪子バレエ学園のマークが示す、水面から羽ばたく白鳥のように、数千人の教え子が飛び立った。「私はこの地に種をまいてきた」。自負を込め、五十七年間のバレエ教師生活を振り返る。

 小学校低学年でバレエと出合い、夜汽車に揺られ、東京都内にある国内創作舞踊の先覚者石井漠・みどりさんの元へ通った。青森市にバレエ研究所を設立したのが一九四九年。以来、県内バレエ界をけん引してきた。

 最初の発表会は同市油川の桟橋。野外や映画館の劇場で行われたこともあった。生徒が着るチュチュは当時、パラシュートの布やカヤで製作。トーシューズも帆布のような粗末で硬い物で、足は血豆だらけだった。

 「レッスンは過酷で、床だけが汗や血を知っている。だが、その苦しみを相手に知らせてはいけない、自分の悲しみで相手を泣かせてもいけない。心を動かす踊りをしなければ」。華やかな舞台に目が向けられがちだが、バレエは一日一日の積み重ね、一秒一秒の闘いと言い切る。

 「田舎教師」を自任し、郷土をモチーフに、郷土に根ざした舞踊を追求してきた。「サクラ、梅、コスモス…、道端の小さな花でもいい。バレエに限らず、それぞれの道で花開いてほしい。誇り高き青森の女性になってくれることが私の願い」。まき続けた種は、生徒自身の情熱と、多くの人の支えにより、確実に成長してきたと実感している。

 夕刻になると、教室に続々と生徒が集まってくる。なかには往復四時間かけて通ってくる生徒も。最近の子どもたちは何を習いたいかという目的意識がはっきりしていると感じている。

 入門したての幼児に、手取り足取りけいこをつける。「子供ってすごいのよ。私がボールを投げると、きちんとミットで受け止めてくれる。無邪気でまっすぐで、人を感動させることができるの」。半世紀以上たった今も子供たちへの温かいまなざしは変わらない。

写真 ◎美学息づく新作群舞(成田 はるさん=舞踊批評家)

 戦後間もないころから、すでに天内珪子バレエ学園の名は知れわたっていた。モダンと古典の火花を散らし、創造し継承に励んできた。五十数年の長い歳月が流れ、その舞踊歴は重く輝いている。

 五十周年の記念公演を開催したのは、五年前だったと思う。あの時の公演の舞台は気迫にみちて素晴らしいと思った。天内さんの作品は、やはり創作の世界であり、それが魅力であるのだ。

 「華麗なる挑戦」−未来へ−は三章からなる大作で、今も私の記憶の中にある。

 今年の十月二十二日、青森県洋舞合同公演(弘前市民会館)では、新作「遥(はる)かな旅路」を発表した。その作品は枯れることのない創作力あふれる群舞作品であった。

 そして、その中には独自の哲学、美学が息づいていて、人々を感動させていた。



■ 市民の熱意で年々発展
  五所川原立佞武多運営委員会

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今年の祭り最終日の8月8日、五所川原市の大町旧ロータリーに勢ぞろいした3台の大型立佞武多
 高さ二十数メートルの立佞武多(たちねぷた)が今年も五所川原市の夏の夜に練り歩き、沿道を埋めた市民や観光客らを圧倒した。五所川原立佞武多はいまや、県内屈指の祭りに成長。その名を全国にとどろかせている。

 二十メートル前後の巨大ねぷたは明治、大正期には県内各地で運行されていた記録が残っているが、電線が普及したため、姿を消した。それが平成の世に復活することになったのは、一九九三年に市内で巨大ねぷたの台座の設計図が見つかったことなどが発端。九六年、二十メートル余の巨大ねぷたを復活させようと、市民有志が「立佞武多復元の会」を結成した。

 同年四月、市内の岩木川河川敷で制作を開始。資金集め、人手不足などが懸念されたが、日を追うごとに市民らから募金などの協力が増え、立佞武多「武者」が完成した。約七トンの巨体を河川敷で運行。最後は火を放って昇天の儀式を行い、大きく報道された。

 話はそれにとどまらず、九八年には市街地を運行することに。「立佞武多をつくる会」が結成され、「親子の旅立ち」を制作。同年夏、夏祭り「虫おくりと火まつり」の中で約九十年ぶりに運行された。「復元の会」「つくる会」の代表だった平山誠敏五所川原市長は「市民にはまだまだ活力がある、地域はもっと良くなる−と感じた」と当時を振り返る。

 立佞武多は、九八、九九年に東京ドームで開かれた「活彩あおもり大祭典」に出陣、来場者の度肝を抜いた。全国的な知名度アップとともに祭りは年々発展し、今年の人出は過去最高の約百七十二万人(主催者発表)を記録。二〇〇七年、市街地運行十年目を迎える。

 祭りを運営しているのが、市、五所川原商工会議所、市観光協会、各運行団体などによる五所川原立佞武多運営委員会。運営委員会大会長の川村恒儀五所川原商議所会頭は「東奥賞受賞は、関係する皆さんの協力があってのこと」と感謝し「立佞武多の街・五所川原をこれからも全国にアピールしていきたい」と決意を新たにしている。

写真 ◎お手伝いこれからも(吉 幾三さん=歌手)

 五所川原市の皆さん、「立佞武多」の東奥賞受賞おめでとうございます。立佞武多によって五所川原も全国に名をはせ、地元の一人として本当にうれしく思います。

 二〇〇一年に「立佞武多」の歌を発表し、その年から歌を皆さんに披露することで、毎年運行に協力させていただいておりますが、五所川原の人たちの熱気に、私も刺激され、心の底から楽しんで参加しています。大型立佞武多三台の前で歌う時の何ともいえぬ感動は、いつでも鮮明です。

 来年、十年目に向かおうとしているこの時に、今回の受賞は何か意義のあることだと思います。

 もっともっと、すばらしい祭りになるよう、これからも市民の皆さんが一緒になって盛り上げていってください。私もできるだけお手伝いします。




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