東奥日報 東奥賞


第57回東奥賞

 東奥日報社が産業、学術、文化など各分野で活躍し、本県の発展に功績のあった人や団体に贈る第五十七回東奥賞が決まった。今年は川柳作家の杉野草兵さん(72)=蟹田町、県農林総合研究センター畜産試験場和牛改良技術センター(森田村)に贈られる。

 杉野さんは長年にわたって川柳の指導、普及に情熱を傾け、戦後の県柳壇振興に貢献した。

 県和牛改良技術センターは、全国トップ級の評価を受ける県基幹種雄牛「第1花国」を生産・育成し、県産牛の銘柄化につなげた。

 贈呈式は十二月四日午前十一時から、青森市の青森グランドホテルで行われる。


東奥賞
  ▽ 杉野 草兵さん(蟹田町)−戦後の県柳壇振興に貢献
  ▽ 県農林総合研究センター
    畜産試験場和牛改良技術センター(森田村)−種雄牛「第1花国」を生産



■ 感性重視の表現貫く
  杉野 草兵さん(蟹田町)

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蟹田町観瀾山公園に立つ川上三太郎の句碑の前で「先生の批評吟にはさんざんたたかれた。何くそと食らいつきながら川柳にのめり込んだ」と笑う杉野さん
 職場検診で病気が見つかった。五十歳のときだった。医師の言葉が頭の中をぐるぐる回る帰り道、句が浮かんだ。

 <五十歳でしたつづいて天気予報>

 ニュースのワンシーンのような、さめた言葉のつなぎ目に、背中合わせにある「死」と「日常」がにじんでいる。感性重視の詩性川柳を本県に根付かせ、戦後の県柳壇活性化の“けん引車”になった杉野草兵さん(72)の真骨頂がここにある。

 「昔の川柳は『何がどうして何とやら』と説明的で、誰にでも意味が分からなければならなかった。一読して意味は分からなくても、それぞれが感性で読み取る川柳、空間に深みのある川柳を追い求めてきた」。淡々と振り返るが、その道のりは逆風から始まった。

 一九五五(昭和三十)年、東京の製薬会社に就職。五七年、高校二年で死んだ弟の日記に川柳が書き残されているのを見つけ、父で川柳作家の故杉野十佐一に勧められても頑として拒んでいた川柳の門をたたいた。

 大きな転機は川上三太郎との出会い。三太郎が主宰する「川柳研究」に参加。厳しい批評に鍛えられながら、川柳の新しい風を吸い込んだ。

 五八年、親の希望で帰郷した。当時の県柳壇は伝統派が圧倒的多数。風当たりは強かった。「大会に出ると『あんなのは川柳じゃない。柳界から出ていけ』という声が、後ろから飛んできた」。それでも自分の表現を貫いたのは、三太郎に「青森県の川柳は二十年遅れている」と言われたときの悔しさから。

 帰郷後むつ市で薬店を開いた際に高田寄生木さん=川内町=と出会った。両者で支えた川柳誌「かもしか」(二〇〇二年終刊)は、県外からも投句者を集め、全国誌にまで発展した。研究会「Cの会」の設立や川柳Z賞の創設など、県柳壇のレベルアップのために奔走。現代川柳の旗手となる若い人材が、そこから数多く育った。

 一方で薬剤師として各地の国立病院に勤務しては川柳の輪を広げた。一九七六年に青森市の国立ハンセン病療養所・松丘保養園に赴任したのを機に、入所者でつくる川柳結社「北柳吟社」の指導にも情熱を傾けてきた。合同句会など、他結社との交流には特に力を注いだ。同吟社は今年五月に七十四年の歴史に幕を下ろしたが、その功績は「偏見にさらされる中で、川柳仲間は垣根なく付き合ってくれた」と、今も入所者に感謝されている。

写真 ◎詩性川柳の門戸開く(時実 新子さん=「川柳大学」主宰)

 杉野草兵、さわやかな名前である。

 久しぶりに電話して祝意を表し、「ところで自信句をきかせて」と言うとしどろもどろになってぼそっと、「あいつはもう死んだかな防波堤の右が北」なんて答える。いかにも草兵らしいなァと、鼻の頭がツンとなる。

 大川柳家・杉野十佐一氏を父に、六大家の一人・川上三太郎を師と仰いで営々と歩んできた四半世紀だ。わるいことは何ひとつしなかったはずだ。よいことは山ほどしたはずである。

 そのひとつに川柳Z賞がある。川柳の芥川賞とでもいうべき狼煙(のろし)が本州の北端からあがったことに私はおどろいた。青森に詩性川柳を根付かせ、俊英を育て、全国に門戸をひらいた彼は、まさに北の灯台である。

 川上三太郎門のきょうだい弟子として「北に杉野草兵あり」は、ながく私の誇りであった。彼の朋友・高田寄生木にも世話になった。青森県のふたつのツノに二人は居る。そのことが今も私の心の支えである。

 草兵の蓬髪(ほうはつ)も薄れたことだろうが、彼の情熱は今も熾(さか)んである。ゆったりとしずかに、深く太く、その灯を川柳の海に投じつづけてほしいとねがう。それこそが今回の栄えある賞に応える道です、きょうだいよ。



■ 県産牛銘柄化に奮闘
  県農林総合研究センター畜産試験場和牛改良技術センター(森田村)

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県基幹種雄牛「第1花国」と県畜産試験場和牛改良技術センターの職員たち
 県畜産市場(七戸町)で毎月一回開かれる子牛市場の取引価格が、全国トップクラスで推移している。十一月十二日にあった競りにも遠くは九州から購買者が訪れ、市場は活気に包まれた。購買者が熱い視線を注ぐのは、本県の看板種雄牛「第1花国」の血を継いだ県産子牛だ。

 第1花国は一九九三年五月、森田村にある県農林総合研究センター畜産試験場和牛改良技術センター(当時は県畜産試験場森田支場)で生まれた。同センターが、島根県から購入した雌牛に家畜改良事業団所有の名牛「北国7の8」の精液を導入し、生産・育成した。

 同センターは肉牛、乳牛、豚を対象とした県畜産指導所として六四年に発足した。肉牛に特化した施設へと転換するきっかけとなったのが、九一年の牛肉輸入自由化だった。

 輸入牛肉に対抗するには、和牛改良による品質の向上、銘柄化が欠かせない。県は改良推進の一環として、同センターを本県の種雄牛づくりの拠点施設に位置付けた。

 全国に通用する種雄牛を目指し、職員たちが奮闘する中、第1花国は産声を上げた。「最初は多少大きい程度だった」。誕生に立ち会った職員が懐かしそうに振り返る。

 第1花国の精液で生産された肉牛は、その後の検定で肉質が高い上に成長が早いという質量兼備の面で群を抜き、九九年に県基幹種雄牛に指定された。だが、初めから順調な道を歩んだわけではない。若い時期はセンターの畜舎が狭かったこともあり、自然交配用に貸し出された。同センターの佐藤博雄所長は「プロ野球で言えばファームからのスタート。たまたま先輩の故障で空いた一軍の枠に昇格、好成績を残した」と話す。

 第1花国の血統牛は全国レベルの枝肉共励会で最高位に輝くなど、次第に全国トップ級の評価が定着するようになった。それとともに、十年ほど前に全国最下位クラスだった本県の子牛市場価格もぐんぐん上昇。〇三年度は一頭平均四十六万三千円で、全国三位の座を獲得。第1花国の子牛の一頭平均価格は五十一万一千円と、価格上昇の大きな原動力となった。

 「子牛価格が高値で安定するようになり、生産者にも意欲が出てきた」。県家畜市場を運営する県畜産農協連合会の鳥谷部昌三常務理事は話す。

 佐藤所長は「和牛生産にかかわっている多くの方々の仕事がうまくかみ合い、第1花国の力を引き出すことができた。県内関係者を代表して賞を受けたい」と話している。

写真 ◎評価高く大いに注目(寺内 正光さん=東京食肉市場社長)

 青森県和牛改良技術センターの「東奥賞」受賞をお喜び申し上げます。

 青森県は、山・川・海の美しい自然環境と資源に恵まれ、肉用牛の生産に熱心な県だと思っております。

 当社は、公正な取引・適正な価格形成、迅速な代金決済で生産者と消費者を結ぶ食肉市場として食肉流通の担い手の使命を持っておりますが、「第1花国」については、二〇〇三年に当社で開催された全農肉牛枝肉共励会において、最高位の「名誉賞」に輝くなどの実績もあり、一般の取引においても高く評価され、大いに注目しているところです。

 あらためて「第1花国」という優秀な種雄牛を作出された関係者のこれまでのご尽力に、深く敬意を表します。

 今回の受賞を契機として、さらに研さんを積まれ、肉用牛の産地づくりにご活躍されることを祈念します。




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