東奥日報 東奥賞


第56回東奥賞

 東奥日報社が産業、学術、文化など各分野で活躍し、本県の発展に功績のあった人たちに贈る第五十六回東奥賞が決まった。今年は作家の長部日出雄さん(69)=弘前市出身・東京都、日本将棋連盟棋道師範の中戸俊洋さん(60)=百石町、八戸俳諧倶楽部(野田尚会長)=八戸市=に贈られる。プロスキーヤーの三浦敬三さん(99)=青森市出身、東京都=と三浦雄一郎さん(71)=青森市出身、札幌市=親子には東奥賞特別顕彰が贈られる。

 長部さんは津軽を出発点にグローバルな文筆、評論活動を展開。中戸さんは将棋の普及、将棋による町おこしに尽力した。八戸俳諧倶楽部は、俳諧の伝統を受け継ぎ今年で百周年を迎えた。三浦さん親子はあくなき冒険心で人々に夢と勇気を与えた。

 贈呈式は十二月六日午前十一時から青森市の青森国際ホテルで行われる。


東奥賞
  ▽ 長部 日出雄さん(弘前市出身・東京都)−グルーバルな文筆、評論活動を展開
  ▽ 中戸 俊洋さん(百石町)−将棋の普及、町おこしに尽力
  ▽ 八戸俳諧倶楽部(八戸市)−藩政時代の伝統守り100年
   
東奥賞特別顕彰
  ▽ 三浦 敬三さん(青森市出身・東京都)
 三浦雄一郎さん(青森市出身・札幌市)−あくなき冒険心で人々に感動与えた



■ 少年時代の理想追求
  長部 日出雄さん(弘前市出身・東京都)

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東奥賞を受賞し「郷里の賞は格別のうれしさです」と語る長部さん
 「津軽の少年時代に抱いた理想主義というものを、今あらためて、もっと深めて、豊かにして書いていきたいと思う」。理想−と語る時、ふっと見せる少年のような笑顔がとても印象的だった。

 かつて文芸誌の随筆で「境界人宣言」をした。文学から社会学、政治、哲学、古代史へと踏み込む探究心は広く深い。「津軽と東京、日本と外国、文学と映画…僕は境界線のところに一番興味があるんです」と言う。

 一九七三年の直木賞受賞作「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」をはじめ、「鬼が来た 棟方志功伝」、太宰治の評伝「辻音楽師の唄」「桜桃とキリスト」−。初監督の映画「夢の祭り」を含め、作品群の主旋律には津軽の人と風土への強い愛着が脈打っている。

 魂の根元に迫る求心力と、もう一方で時代と世界を見渡す遠心力。「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という問いを追い続ける旅が続く。

 「二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語」では、ドイツの社会学者ヴェーバーがおよそ百年前に発した警告を読み解き、危機感とともに現代に提示した。

 警告の中に、こんな一節がある。<世界はますます多元的に分裂し、かつて退けられた多くの神神が墓から蘇ってきて、永遠の争いをはじめる>

 今日の欧米とイスラム圏の価値観の衝突の悲劇を予言したかのようだ。「ヴェーバーは社会主義の限界を最初から見通していた。そして『神神の闘争』という今世紀初頭までも言い当てていた」

 踏み絵のように世界を敵と味方に二分する善悪の一元論は、そのまま今の国際情勢だ。戦争で兄を失い、戦後の青空の下で「理想主義」をはぐくんだ長部さんは「痛切な教訓」として「一元論に決して絶対的な権力を与えてはならない」と説く。

 今、ドイツ観念論の哲学者カントの評伝を書く準備を進めている。「観念論には『理想主義』という意味がある。理想がなくては、よく生きることはできない」。少年時代の志がなお鮮やかだ。

写真 ◎読むもの圧倒する力(三浦 雅士さん=文芸評論家)

 長部日出雄さんの仕事が素晴らしいのは、郷里の先輩である太宰治や棟方志功といった人々の人生と作品を素材としながら、それらをつねに人間に普遍的な次元にまで高めていることだ。とくに棟方志功の人生に取材した「鬼が来た」は、芸術家の人となりのみならず、第二次大戦前後の日本の空気をじつに陰影深く描いていて、読むものを圧倒する。長部さんのこの資質は、自身がメガホンを取った映画「夢の祭り」に端的に表われている。

 津軽三味線に否応もなく惹(ひ)かれてしまった男の一生を描いたこの作品は、津軽の風土を細部まで生かしながら、しかし芸術家に普遍的な物語を描いている。その美質を一言でいえば、人間の哀(かな)しみに対する深い愛情である。



■ 大山名人と二人三脚
  中戸 俊洋さん(百石町)

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自宅の将棋道場で小学生に指導する中戸さん。「だいぶ強くなったね」と優しく声を掛ける
 家業の関係で百石町に居を構えたのが一九七二(昭和四十七)年。右も左も分からない土地に溶け込もうと、自宅の一部を将棋道場として近所の愛好者に開放、小さなサークルをつくったのが、「将棋の町」づくりの出発点となった。

 サークルは日本将棋連盟上北支部を経て県南支部へ発展した。会員が百五十人を超す時期もあった。将棋雑誌の発行、アマプロ対抗特別戦などの創設。小中学生の指導にも力を注ぎ、百石小を全国小学生団体対抗戦「すくすく王将杯」で四度の全国制覇に導いた。

 これらの実績を土台に八六年、町が将棋による地域活性化に本腰を上げる。全国将棋まつり実行委員会をつくり、各種大会を毎年開催。まつりの目玉、女流棋士公式戦・倉敷藤花戦百石対局は、今年十年目を迎えた。二〇〇二年、町は日本将棋連盟の大山康晴賞を受賞し、「北東北地域での将棋情報の発信拠点」と評価されるまでになった。

 これまでの普及活動が順風満帆だったわけではない。「将棋は賭け事と思われ反発を受けたり、個人の趣味になぜ町がかかわるのかと批判を浴びたり。ねたみを買ったこともあった」という。親交が深かった大山康晴十五世名人(故人)の存在が大きな支えだった。

 大山名人は同町を「第二の故郷」と呼ぶほど足繁く訪れた。二人三脚で普及に走り、県内全市町村で講演や指導対局を行った。「名人と交流することで普及の大事さを感じた。人脈が広がり、私の血や肉になった」。東北名人戦県大会などアマチュア大会で優勝した達成感も、普及に力を入れるきっかけになった。

 東京都出身。戦災で母親の故郷三戸町に疎開した。小学生のころ兄の手ほどきで将棋を始め、ほぼ独学で棋力を磨いた。母親は行商から一代で総合衣料品店を興したワカさん(故人)。将棋への理解が深く、商売成功の恩返し−と、普及活動を支援してくれた。

 「将棋は生きがい。完全に体の一部。まだまだ頑張ります。当面は町が整備する大山将棋資料記念館の資料集めに奔走したい」。眼鏡の奥の大きな瞳に情熱がたぎる。

写真 ◎苦労しのび感謝の念(谷川 浩司さん=王位)

 中戸さんは情熱の人である。

 今でこそ将棋連盟も「普及指導員」の制度をつくり、その中で中戸さんは「棋道師範」という最高の立場だが、一人のアマチュアの立場で青森県を将棋王国にするまでには、どれほどのご苦労があっただろうか。

 大山康晴十五世名人が百石町を訪れた回数は、出身地の倉敷にも劣らないはずで、そのことでも中戸さんの人徳がうかがえる。

 私たちプロ棋士はわずか百五十人。それも対局中心の生活なので、どうしても東京と大阪が拠点になる。中戸さんのように、地元で熱心に普及してくださる方は本当にありがたい。今回の受賞は将棋界にとっても、大きな喜びである。

 弘前市出身の行方尚史六段や、プロを目指す少年たちの活躍を心待ちにしながら、中戸さんはこれからも情熱の人であり続ける。



■ 歌仙興行を唯一継承
  八戸俳諧倶楽部(八戸市)

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1930年代に八戸俳諧倶楽部が整備した百仙洞公園(八戸市)で、松尾芭蕉の句碑に見入る会員たち
 八戸市は「薫風」「青嶺」「たかんな」の俳句結社を中心に、職場やクラブ、小中学校での活動、多くの俳句大会など幅広い年齢層が俳句に親しみ、「俳句のまち」として全国的に知られている。その源が、今年百周年を迎えた八戸俳諧倶楽部(野田尚会長)だ。  もともと八戸藩は七代藩主南部信房公(一七六五−一八三五年)を中心に、藩を挙げて俳諧に熱を上げた歴史がある。当時の俳諧は、複数の作者が五七五と七七の句を交互に作る連歌形式が主流で、三十六句を連ねる「歌仙」が基本。同倶楽部はその流れを受け、旧上級武士の指導者たちが一九〇三(明治三十六)年に創立した。  同倶楽部の最大の特徴は、複雑な儀式や作法にのっとり歌仙様式の連歌を作る「歌仙興行」で、全国で唯一、同倶楽部だけが受け継いでいる。さらに、伝統に従い入門や、判者の意の立机(りっき)の免状を発行しているのも特徴で、信房公が確立した五つの系統のうち三系統を継承している。  名久井白好副会長は「もともと殿様が始めた俳諧という伝統へのあこがれや、俳諧を作ることができるという誇りがあったから続いてきたのだろう」と話す。  現在の会員は約三十人。年五回の句会のほか、歌仙興行を十年に一回開いている。今年六月には、百周年事業として八戸市博物館で特別展を開催したほか、記念の歌仙興行や小中学生俳句大会も行った。  記念事業の準備に奔走したのが、関川竹四前会長。だが、特別展の終了後に亡くなった。会員は「関川さんの意欲が倶楽部を引っ張った。受賞を一番喜んでいるはず。もう少し生きていてほしかった」と口をそろえる。  今後は、歌仙興行を三年に一回開催し、連句の実作と研究に力を入れる。また、小中学生の指導や大会に積極的に協力し、俳諧・俳句の普及と発展を目指すという。  野田会長は「受賞を力として、藩政時代から続いてきた伝統を次の世代に伝えていきたい」と話している。

写真 ◎今後の活動の励みに(木附沢 麦青さん=青嶺俳句会主宰)

 二十年ほど前、八戸俳諧倶楽部の池田風信子会長(当時)が青嶺の同人になって以来のお付き合いで、特に関川竹四前会長とは公私ともに仲良くさせてもらった。関川さんは、百周年事業で関係者と四年前から折衝を重ねていた。逐一報告してくれたが、それが楽しかったようだ。受賞は予想外のうれしい出来事のはずで、何よりの供養になると思う。

 俳句の原点を突き詰めれば俳諧がある。季語は俳句の単なる材料ではなく、その背景にある歴史や自分の思いが重要。俳諧倶楽部はそれに気付かせてくれた。

 これまで関川さんがけん引してきたが、今は残った人たちが力を合わせ一生懸命やっている。今回の受賞がこの上ない励みになり、今後の活動を後押ししてくれるだろう。







■ 夢持ち続け偉業達成
  三浦 敬三さん(青森市出身・東京都)・雄一郎さん(青森市出身・札幌市)

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三浦敬三さん(左)と雄一郎さん親子
 九十九歳でアルプスの大氷河を滑走。そして七十歳の世界最高齢で、エベレスト登頂に成功−。スキーに人生をかけた青森市出身の三浦敬三さん、雄一郎さん親子が、相次いで世紀の偉業を成し遂げた。夢と希望を与えた「MIURA FAMILY」の名は、日本はもちろん、世界を瞬く間に駆け巡った。

 敬三さんがスキー滑走を挑んだ山は、モンブラン山系で最長の氷河とされるフランス・バレーブランシュ。今年二月十九日、長男の雄一郎さん、孫の雄大さん(37)とともに、標高3842メートルの山頂付近からスタート。標高差約1900メートル、距離約20キロを数時間かけて滑り降りた。ゴールで、ひ孫の里緒ちゃん(3つ)の出迎えを受けた敬三さんは「みんなの協力を得て、無事に終わりました」と喜びの声を世界に伝えた。

 敬三さんは一九〇四年、青森市生まれ。北海道大学卒業後、青森営林局に就職。まだスキーが一般的でない昭和初期から、山岳スキーに打ち込むとともに、実用スキーの指導者として普及に努めた。スキーの訓練などで年間数十日も八甲田に入るなど、県内の山々を歩き回っては、その魅力を広く全国に発信。山岳スキーカメラマンとしても活躍した。「八甲田山は私の故郷の山である。私の山とスキーの人生を決定的にした山でもある」と著書「雪とともに」に記している。

 今回、白寿の記念に氷河でのファミリー滑走を計画、毎朝三十分間の自己流トレーニングと駆け足を含む四十分間のウオーキングを続け、快挙を達成した。生涯現役を貫いており、「もっとずっと滑りたい。生命の続く限りは滑りたい」と、はじけるような笑顔で夢を語る。

 プロスキーヤーの雄一郎さんは、五月二十二日午後零時十分(日本時間同日午後三時二十五分)、世界最高峰のエベレスト(8850メートル)登頂に成功した。記録を一気に七歳も更新する世界最高齢での登頂だった。

 山頂付近は、時速500キロものジェット気流が吹き荒れた。晴天を待つ間、体力が消耗し、酸素や燃料まで底をついた。何度も転倒、死の恐怖にも直面した。最高峰の頂点に立った雄一郎さんは「最高に元気だ。とうとう地球で、一番高いエベレストの頂上に立つことができた」と現地から喜びを伝えた。

 雄一郎さんの二男でスキー元五輪代表の豪太さん(34)も、一緒に登頂に成功。白寿の敬三さんの衰えぬ情熱が雄一郎さんに勇気を与え、エベレストに日本人初の親子同時登頂の足跡を残した。

 雄一郎さんは一九三二年、青森市生まれ。北海道大学卒業後、六四年、最高速度を競うイタリアのキロメーターランセで時速174.084キロの世界記録を樹立。これを契機に冒険が本格化する。六六年に富士山直滑降に成功、さらに同年にオーストラリア大陸の最高峰コジアスコ、翌六七年に北米大陸最高峰マッキンレー滑降と次々に世界の山を征服。七〇年五月六日、ついに世界最高峰のエベレスト大滑降に成功する。「地球上でも、まだこんなことができるのかっていう感動を覚えた」と言う。エベレスト大滑降成功で、第二十三回東奥賞に輝いた。

 五十三歳までに七大陸最高峰のスキー滑降に成功。目標を達成し、一度は現役引退を決意した。しかし、六十五歳の時、「元気のない日本や中高年を励ましたい」とエベレスト登頂を決意。五年かけて体を鍛え直した。

 「いくつになっても夢を持つこと。その実現に向かって努力すること。困難を承知の上でのあきらめない一歩から、どの分野でも世界の頂上に立てる」。次の目標はエベレスト山頂からのスキー滑降。夢は果てしない。

写真 ◎さらなる挑戦に期待(堤 義明さん=全日本スキー連盟会長)

 三浦敬三さん、雄一郎さん、偉業達成おめでとうございます。九十九歳になられた敬三さんは今年二月、白寿を記念してフランス・モンブラン山系にありますバレーブランシュの氷河滑走を成功されました。このことは日本だけではなく、世界の人々の大きな感動を呼びました。そして五月、今度はご子息で七十歳の雄一郎さんが、世界最高峰であるエベレストの登頂に成功されました。お二人の成功の陰には、強い精神力とたゆまぬ努力、そして何よりもスキーを愛する心があったからと拝察いたします。

 これから到来する高齢化社会を前に、この偉業がどれほど多くの皆さんに勇気を与えたことか計り知れません。今後もお二人のさらなる「挑戦」に期待しております。


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