東奥日報 特集


■ 縄文是川フォーラム2000
 
   漆は「完全な技術」の存在を保証する出土物−。東奥日報社と八戸縄文保存協会主催の第三回縄文是川フォーラムがこのほど「縄文の匠(たくみ)が育(はぐく)んだ漆の美」をテーマに八戸市公民館で開かれた。最新の分析結果を通して見た漆をめぐる技術・社会体系、縄文人の体質など、幅広い問題が取り上げられたフォーラムから、話題を拾ってみた。

 「漆は年代測定に最良の資料」と講師の一人、永嶋正春・国立歴史民俗博物館助教授は基調講演で指摘した。縄文時代の遺物の年代測定には、炭素の放射性同位体(炭素の一種の放射性物質)である「炭素14」を用いることが多い。炭化物に含まれる炭素14の割合が、生成されてからの時間に応じて減少していく性質を利用する。

 最近、微量の試料からでも炭素14を使った年代測定が可能な「加速器質量分析(AMS)法」が普及し、測定結果を木の年輪などから精密に補正する方法も確立されつつある。漆は非常に耐久性が高い炭化物である上、炭素の含有量が多い。さらには、製作後に再利用されたかもしれない土台の土器や木製品ではなく、漆そのものが作られた年代が分かる。このため漆の背景にある文化を従来より高い確度で類推できる、というのだ。

木栽培の可能性

 では漆の背景にどんな文化が横たわっているのか。

 漆の木は日照が良く、水はけもそこそこ良い、肥えた土の場所を好むとされる。しかし自然の植生ではほかの樹木に淘汰(とうた)され、やがては姿を消してしまうはずという。永嶋氏は「自生している漆を使うのは無理。漆の木を栽培し、管理する技術の存在が限りなく推定できる」とみる。

 それだけではない。「漆製品の製作工程には極めて完成度の高い技術の体系が必要」と永嶋氏は強調した。漆を塗る精緻(ち)な土器を焼いたり、木製品を加工する技術。漆樹液をこす布。漆を塗る筆やへら、はけの存在。さらに漆は保存が利かず高温多湿な夏以外には作業ができないため、夏に向けて樹液や用具、土器・木製品を準備する計画性…。「漆製品はあらゆる準備を整え、周到に作られている」と永嶋氏。

 同氏が手掛けた中で最古の漆関連の遺物は、島根県の夫手(それて)遺跡から出土した縄文前期初頭とされる土器片だ。炭素14による測定では約六千八百年前の物。「くろめ」(樹液の水分を飛ばす)作業用らしい土器に漆がこびりついていた。同時期の漆製品などが各地で発見され、日本の漆は紀元前五千年近くまでさかのぼる歴史を持つことが明らかになってきた。

 同じく基調講演を行った江坂輝弥・慶応大名誉教授によると、中国では同時代の浙江省・河姆渡(かぼと)遺跡から漆製品が出土しているが、日本の漆技術が独自に編み出されたものか、中国渡来のものかは結論が出ていない。

赤い顔料は2種

 国内で縄文の漆製品が初めて大量に見付かったのは八戸市の是川地区だった。今年の発掘でも是川中居遺跡からは漆を使った約三千−二千五百年前の朱塗り土器・木製品が多数出土。調査を担当した宇部則保・八戸市教委文化課主任主査はパネルディスカッションで「漆に混ぜた赤い顔料は、大型製品はベンガラ(酸化鉄)、小型の櫛などは水銀朱を主に使っていたことが分かった」と報告した。

 永嶋氏は「ベンガラは前期初頭、水銀朱は後期初頭(約四千年前)から使用された」とした上で「柔らかな赤の水銀朱がより好まれていたことを反映し、また水銀朱の方が貴重だった事情にもよるのでは。ベンガラに(水銀)朱を重ね塗りした例もある」と指摘した。

 司会の栗村知弘・八戸縄文保存協会会長は「漆かぶれに強い人と弱い人がいる。漆作業には分業が採り入れられていたのか」と提起した。

 永嶋氏は「遺伝的にかぶれにくい人々が技術を継承し、職能集団をつくっていた可能性がある。赤い土器は儀礼的な意味を持っていたと考えられ、製作に携わった集団がどんな立場にあったか興味深い」と述べた。

 これに対し江坂氏は自らの経験を交えて「漆職人はかつて漆の若芽をゆでて食べたりした。漆工房に出入りする子どもはかぶれなくなる。縄文人は漆に対する免疫がほとんどの人にあったのでは」と反論した。

筆の出土に期待

 このほか永嶋氏は「漆の花粉は遺跡から見付かりにくく、また樹液を取れる種類のものかどうか区別できない。しかし集落から離れた所で花粉がまとまって見つかり、漆畑があったと考えられる例もある」「当時の漆作業は漆かきから塗りまで一日で完結させる必要があったと考えられ、畑は集落から日帰りできる距離にあったのではないか」「今後、未出土のはけや筆などの発見が期待される」などと語り、会場の注目を集めていた。

※写真は縄文の漆技術や社会について意見を交わす講師ら=八戸市公民館



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