2010年2月9日(火) 東奥日報 天地人



 札幌農学校出の新渡戸稲造が東京大学の面接試験を受けた時、何を勉強したいかという質問に、経済学、統計学、政治学のほか英文学も学びたいと答えると、面接官の教授はふに落ちない様子で尋ねた。「英文をやって何します?」。

 「太平洋の橋になりたいと思います」。日本と外国の懸け橋になる。言葉通りの生涯を送った。著作や講演を通じて国情や文化を紹介し、教育にも力を注いだ。国際連盟事務次長として国際協調と平和を説いた。内外の尊敬を集めたのは深い思索と高潔な人柄のゆえという。

 環太平洋諸国の民間人が課題を話し合う、太平洋会議のまとめ役を引き受けたのも信念の表れだ。1933年、カナダのバンフで開かれた太平洋会議の帰り、ビクトリアで亡くなった時には多くの人が、東西の橋をかけようとしている中での死を悼んだ。

 その半年前、夢をつづっていた。「全人類が兄弟となり、戦争が人類を引き裂くことはなく、戦争の噂(うわさ)が女性の心に恐れを抱かせることもない未来の夢を私は夢見る」(「夢と夢見る人」)。祖国が国際連盟を脱退し世界の孤児になる道を選んだ皮肉な時代背景を考えると、悲痛な叫びに聞こえる。

 「私の夢のことで私を嘲(あざけ)らないでほしい。夢こそ来るべき時代のさきがけだからである」。見果てぬ夢だとしても書かずにいられなかったのだろう。世界平和を夢想し、太平洋の対岸で亡くなった慈悲深い国際人に思いを重ね、スポーツと平和の祭典バンクーバー冬季五輪の開幕を待つ。


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