2009年11月6日(金) 東奥日報 天地人



 首位まで8ゲーム差あった1996年7月14日、松井秀喜外野手が20号を放って巨人が勝つ。当時の長嶋茂雄監督は言った。「松井が40本打てばミラクルが起きる」。予言通りチームは劇的な逆転優勝を飾る。松井はリーグ最優秀選手(MVP)に。メークドラマが流行語になった。

 その7年後にヤンキースに入った松井は、米大リーグワールドシリーズ第6戦という檜(ひのき)舞台で6打点の大暴れ。その前のゲームでも決勝本塁打や代打本塁打を放ち、とうとうチームを世界一に導いた。今度は日本人選手として初めてのシリーズMVPを射止めた。

 常勝を宿命づけられている名門チームでの生存競争。中軸を任せられる精神的重圧。左手首、両ひざの手術も経験した故障への不安…。それらと闘い続けて手にした栄冠の感想は「何か夢みたい。ここまで長かった」。本音だろう。

 大リーグ記録を次々つくるイチローに比べると地味。でも、日本人の長距離打者は大リーグで通用しないかも…という心配を打ち消して、優勝の立役者にもなった。なのに、喜びは控えめにみえた。ナインと抱き合い、健闘をたたえ合う笑顔も穏やかだった。

 松井の背番号と同じ「55」年前の11月、怪獣映画の先駆けの「ゴジラ」が日本で封切られた。多くの観客を集め、海外でも評判を呼んだ。米ではゴジラという項目を加えた辞書も出たそうな。松井のあだ名は、辞書でなく日米の野球ファンの記憶に深く刻まれたのではないか。“謙虚で強打のゴジラ”として。


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