| 2008年3月26日(水) |
|
山へ行くとは死出の道のことだ。雪の降るころなら早く安楽になれる。七十になろうとするおりんは、そんな季節を選んで自ら進んで楢山へ参る。連れ立った息子の辰平は母を残して山を下る。折しも雪が舞い始め辰平は思わず引き返すが、おりんは静かに手を振るばかり。辰平は綿入れの文句を思いつつ、「おっかあ」と叫んで帰っていく。 この小説が世に出たのは昭和三十年代初めだ。土俗の生活史の悲惨と、その深層にある「知恵」を非情に描いて、文壇に衝撃を与えた。「もはや戦後は終わった」と言われ、物や量の思想に向け走りだしたころだ。そんな時代が忘れ去ろうとしていたものを、棄老の風景に仮託して撃ったからだろう。 それから半世紀、おりんたちの物語は遠い昔話になったかに見える。かつてない高齢社会が広がる。その人口の割合や平均寿命などの数字が、如実に語ることだ。老いを支える世の仕組みが、それだけ成熟したと言うべきか。けれど内なる風景となればどうか。語られぬまま中空を漂う思いはないか。 例えば後期高齢者という冷たい響きの言葉は、そこまで視線が届いているのか。姥捨や棄老が真の死語になり、消滅する地平へ。現代が問われているのは、その辺ではないか。 |