• トップ
  • >
  • 天地人のバックナンバー
  • 2017年9月14日(木)

天地人

 田山花袋(かたい)は、弘前がよほど気に入ったらしい。<一寸(ちょっと)好い感じである>と『日本一周 後編』(1916.大正5年発行)で紹介している。仙台、山形、秋田<それなどよりもぐつと好い>。<盛岡などはとてもその足元にも及ばない>。面はゆいような、申し訳ないような、ほめ言葉がつづく。

 花袋は、弘前の停車場を出て<石場といふ旅館に先(ま)づ旅の包を托(たく)した>。元寺町の石場旅館であろう。この宿がまた<好い感じ>であった。弘前公園から見た岩木山も<中々立派>である。軍人をしていた弟がこのころ、第8師団司令部にいた。宿を訪ねてきた<弟の家内>から、津軽塗を土産にもらったと記す。

 1905(明治38)年9月14日、112年前のきょう、奥羽本線が全線開通した。最後の工区となった秋田の横手~湯沢間がむすばれたのである。着工から12年かかった。

 物資輸送の大動脈となる。米、リンゴ、海産物などが関東方面に運ばれた。海岸部を走る東北本線よりも、内陸部を走る奥羽本線の方が、有事の際に安全性が高い-と軍部が評価したとも聞く。時世であった。

 花袋が乗った青森~弘前間は、1894年に開通している。1900年発行の『鉄道唱歌』には、弘前も登場する。<店にならぶは津軽塗/空に立てるは津軽富士>。1世紀以上も前から、弘前といえばやはり、岩木山と津軽塗だったのだろう。

モバイルサイトのご案内

広告掲載のご案内