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  • 2017年2月17日(金)

天地人

 卑しむべきもの-とはずいぶんな物言いではないか。1873(明治6)年に青森県権令が出した「ねぶた禁止」のお達しである。「野蛮の余風(風習)」と断じたという。文明開化の旗手のつもりで着任した役人が、地方の旧習を悪習として禁じた(『青森ねぶた誌増補版』青森市)。

 八戸地方を中心に、県南一帯でおこなわれていた「えんぶり」も同じく禁止になった。<文明開化の世にふさわしからぬ…陋習(ろうしゅう)(いやしいならわし)>とされたという。八戸市博物館長をつとめた正部家種康さんが『なつかしの八戸』(東奥日報社)に書いている。

 「八戸えんぶり」がきょうはじまる。豊作を祈る「田遊び」とよばれる神への祈願行事が、旧南部領内で民俗芸能として発達したものと聞く。冷害と凶作に悩まされ続けてきた農民たちの心のよりどころでもあったろう。冬の間、土の中に眠っている田の神をゆさぶりおこし、春をよぶのである。

 ねぶたも、えんぶりも、10年を待たずに復興をはたす。えんぶりはそれまで集落ごとの行事であった。再興とともに豊年祭と改称し、各えんぶり組が八戸の町をねり歩くお祭りにかえたのである。

 <先覚者>たちが<有志相集って協議>し現在の原型をつくった。<えんぶりの明治維新>と正部家さんは解説する。先人たちの熱意は脈々といまも。

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