2010年3月11日(木) 東奥日報 社説



■ 「非核三原則」を立て直せ/核持ち込み密約認定

 やはり、密約はあった。

 日本の外交・安全保障政策について、歴代政府が半世紀も国民に事実を伏せ、虚偽の説明をしてきたことが公になった。

 日米の密約問題を調査してきた外務省有識者委員会の報告書が、1960(昭和35)年の日米安全保障条約改定時の「事前協議」にかかわる「核持ち込み容認」と「朝鮮半島有事での在日米軍戦闘行動」をはじめ、「沖縄返還時の原状回復補償費肩代わり」の計三つを密約と認定した。

 特に核持ち込みの密約とは「米軍核搭載艦の日本への一時寄港」で、歴代政府が認めずにきたものだ。

 既に米側の公開文書などで密約の存在は濃厚とされ、米国の退役軍人らの証言などもあり、少なからぬ国民が疑念を抱き、想定していた事実ではあろう。

 報告書は、当時、日本側が核搭載を認めない姿勢をとる一方、「核搭載艦の寄港は核持ち込みにあたらない」とする米側解釈を認識しながら異議をはさまず、「暗黙の合意」として歴代政府に引き継いできた−と分析、「広義の密約」があったと判断した。

 世界唯一の被爆国として日本が主唱してきた「核を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則は形骸(けいがい)化、事前協議も空洞化していた。日米同盟50年を迎えた今年、政府が同盟の暗部を白日の下にし、歴史上の事実として確定させ、区切りをつけたことは極めて意義深い。

 ただ、核搭載艦の寄港は米ソ冷戦時代の激烈な東西対立という現実を背景にしており、密約についても、非核政策をとる日本の安全、国民の生命を守り抜くという歴史的な必然から必要だった−という見解も根強くある。

 戦後の圧倒的な反核世論と、冷戦下、核を保有する国際社会に対して核抑止を図るぎりぎりの政治判断とのジレンマの間に密約が存在したともされる。

 しかし、そうであっても密約は戦後の日本が一貫して旗印に主張してきた非核三原則を結果として骨抜きにしたもので、被爆地である広島、長崎の人たち、ひいては国民への背信だったと言わざるを得ない。

 密約の認定を受け、政府には非核三原則という国是を立て直し、堅持していくことを強く求めたい。

 北朝鮮や防衛力を増強し続ける中国の存在から、一部には、米国の「核の傘」は重要として有事の際の核搭載艦の日本への寄港は核持ち込みには相当しないと認め、非核三原則を見直すべきだ−との見解もある。「二・五原則」と呼ばれる考え方である。

 が、非核三原則を安易に見直すべきではない。冷戦が終結して20年。米国は1991年以降、洋上戦術核を撤収、核搭載艦を寄港させていない。「核なき世界」を掲げ核廃絶を訴えるオバマ米大統領が登場し世界にその潮流が生まれつつある。日本も願いは同様だ。

 岡田克也外相は「今回調査により、日米安保体制の運用に影響は与えない」と語ったが、日米関係の重要性は言うまでもない。有事の対応への政府見解も詰めておく必要はある。日米は今後の抑止力の在り方を協議・検証しながら、同盟の深化につなげるべきだ。


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