| 2010年2月6日(土) |
「礼に始まって礼に終わる」のが、相撲の基本である。体を鍛え抜き、技を磨き、すべての力士の模範となるように心を養う。格下の力士を思いやり、日本の伝統文化に対する敬意を決して忘れない。大相撲の頂点に立つ横綱は、品位・品格が問われる存在である。 闘争心と根性の塊といわれ、すばらしい運動神経や明るいキャラクターで大相撲人気を支えてきた横綱朝青龍関が、1月の場所中に起こした一般人への暴行問題の責任を取って、電撃引退した。 スピード感あふれる朝青龍関の取り口は、魅力的だった。正攻法の突き、押しに加え切れ味鋭い投げ、足技など相撲の技量は抜群。それほど大きくはない体で歴代3位となる優勝25回を果たし、堂々たる戦績である。 だが一方で、土俵上での振る舞いはファンのひんしゅくを買った。必要以上に長い時間相手をにらみつける。勝負がついた後なのにダメを押す。礼を失するガッツポーズ。けいこではプロレスまがいの技で、けがをさせたこともあった。 土俵外でのトラブルも絶えなかった。夏巡業の休場届を出しながら、モンゴルでサッカーに興じ、その後2場所出場停止という前代未聞の処分も受けた。これらはいずれも、横綱としてあまりにも情けない行為である。 しかし、部屋の師匠・高砂親方は露見する弟子の不祥事に対して、決然とした態度で臨んでこなかった。相応の処分はしたものの、前人未到の7連覇を達成するなど功績が大きい横綱に対して、日本相撲協会も甘く“弱腰”だった。 強ければ、何でも許される。師匠や協会の対応をみて朝青龍関は、そう思ってきたに違いない。会見では「土俵に上がれば鬼にもなる」と言ったが、横綱として備えるべき品格や相撲の礼について全く理解しようとせず、「強さ」がすべての基準だと取り違えてきたのだろう。 朝青龍関は、場所中の身でありながら繁華街に繰り出して、泥酔するほど飲んで知人の男性に暴力をふるったとされる。騒ぎを起こしたこと自体が、横綱として品位を欠くことだ。しかも、当初殴られたのは自身の個人マネジャーとされていたが、後にうそだとばれてしまった。 暴行問題と虚偽報告に、協会理事会は厳しい態度を取らざるを得なくなったようだ。これまでも引退すべきだとの意見が上がっていた横綱審議委員会の態度が急速に硬化したとみられている。朝青龍関や高砂親方は「引退を選ばなければ解雇」と突き付けられ、決断を迫られたらしい。 看板力士を引退させることで「朝青龍問題」は一応の決着をみた。だが、角界の前途は容易ではない。 相撲は日本の文化。礼節を重んじる。伝統を継承していくのは部屋の師匠と協会の責務だ。一方で、時代に合った改革も重要。弟子たちの国際化への対応、底辺の拡大も急務だ。 各部屋の活力ある運営が基本となるが、部屋任せのままでいいのかどうか。一門意識には変化も表れている。相撲協会が組織として結束し指導力を高めなければ、危機は去らない。 |