| 2010年1月31日(日) |
何かと話題の再処理工場の陰に隠れてしまった感があるが、ウラン濃縮工場も六ケ所 村の核燃料サイクル事業の主役の一つだ。同工場にとって今年は再起をかけた年となりそうだ。遠心分離機の停止が続き「欠陥工場」と揶揄(やゆ)されることもあっただけに、汚名返上のチャンスと言ってもいいだろう。 国の原子力安全・保安院は21日、事業者の日本原燃が申請していた、ウラン濃縮工場に新型の遠心分離機を導入するための事業変更を許可した。日本原燃は4月から、いよいよ新型機の導入工事を始める。運転開始は2011年9月。 ウラン濃縮工場は“核燃3点セット”の中では最も早く1992年3月に操業が始まった。最盛期には生産ラインが7系統、濃縮能力は年間1050トンSWU(分離作業単位)あった。しかし、遠心機の停止が頻発し、現在も稼働中なのは1系統だけ。国内原発の需要量に対する供給割合は3%未満で、事業そのものが頓挫しかねない状況だった。 この遠心機は、動燃事業団(現・日本原子力研究開発機構)が開発した国産技術だったが、日本原燃サービス(日本原燃の前身)社長も務めた豊田正敏氏が「全くの欠陥商品といわざるを得ない」とする手記を07年に発表。物議を醸したこともあった。 日本原燃は00年から、複数のメーカーの参加を得て新型遠心機の研究開発を進めてきた。耐久性と経済性を高めるため、新型機は細径、長尺で、回転胴にカーボンファイバーを採用したのが特徴だ。現行機に比べ濃縮能力は4〜5倍高く、「国際的に遜色(そんしょく)ない経済性を実現できる」(日本原燃の兒島伊佐美前社長)という。 1985年に核燃料サイクル施設の受け入れを決断した北村正〓知事(当時)が唯一、誘致に積極的だったのが実はウラン濃縮工場だった。電事連が再処理工場の立地点を本県に定めた時期に、北村氏は電事連会長をこっそり訪ねている。 その理由について同氏は「おっかないもの(再処理工場)ばかりでなく、現地が喜ぶようなもの(ウラン濃縮工場)を加えなければ困る、ウラン濃縮工場は離せませんよ−という意味での働きかけだった」と後年、本紙の取材に語っている。 そういう意味では、再処理工場や高レベル放射性廃棄物貯蔵施設、低レベル放射性廃棄物埋設センターを本県が引き受けたのは、ウラン濃縮工場の操業が大前提だったと言える。六ケ所核燃料サイクル事業の原点とも言えるウラン濃縮工場を、日本原燃は今度こそ軌道に乗せてもらいたい。 国や電力事業者は、核燃料サイクル施設は世界的に注目されており、地域住民は誇りを持ってほしい−という。施設を誇りに思う気持ちは、施設が安全にきちんと操業実績を積み重ねていく中から、自然に醸成されてくるものだろう。 原油高騰や地球温暖化問題を背景に、世界各国で原発の新規建設が加速し「原子力ルネサンス(再興)」と言われている。わが国がウラン濃縮、再処理技術を商業化し、核燃料サイクルを実現できれば、エネルギー確保の点で大きな強みを発揮できることにもなる。 ※北村正〓知事の「〓」は「哉」の「ノ」なし |