| 2009年12月21日(月) |
つがる市の亀ケ岡遺跡から縄文晩期(約3千〜2300年前)とみられる竪穴住居跡が見つかった。 亀ケ岡は縄文晩期を代表する遺跡として知られている。目を極端に誇張した遮光器土偶は特に有名だが、漆塗りの皿やつぼ、細かな加工を施した注口土器や香炉形土器など、造形的な出土品は美術工芸品としても高い評価を得ている。 意外に思えるが、全国的に知られた遺跡でありながら、亀ケ岡ではこれまで住居跡が確認されていなかった。出土品にばかり注目が集まり、遺構確認が後手に回ったきらいはあるが、発見された竪穴住居跡と遺物の年代が合致し、ようやく一本の糸でつながった。 予想されたとはいえ、完成度の高い亀ケ岡の出土品は地元に定住した人々によってもたらされたことが立証された意義は大きい。 亀ケ岡にはどんな人々が住んでいたのか。集落の構造はどうか。高度な土器や土偶はどのように作られ、どう使われたのか。暮らしぶりを解明してほしい。 亀ケ岡遺跡は優美な出土品が注目を集め、古記録にも登場するなど江戸時代から存在が知られていた。縄文時代晩期に東日本一帯に普及した亀ケ岡式土器や、亀ケ岡文化という名称の基になった遺跡として知られる。1944年には北隣の田小屋野貝塚とともに国の史跡に指定されている。 つがる市教育委員会が行った試掘調査の結果、台地(つがる市木造亀ケ岡亀山)の北西端で直径約4・5メートルの竪穴住居跡が見つかった。住民が生活した床面から縄文晩期のつぼ形土器が出土したことから、住居も同年代と特定した。 市教委学芸員の佐野忠史さんは今も住宅が並ぶ台地(亀山地区)中央部が縄文時代も集落の中心で、かつて土坑墓(どこうぼ)が見つかった台地のへりが墓域、北側(近江野沢地区)と南側(沢根地区)の低湿地は土器などの“捨て場”と祭祀(さいし)的空間ではないかと推測している。 おぼろげながら集落の全体像が見えてきたようだ。 弘前大学名誉教授の村越潔さんは現場で集落や社会構造に言及したという。 亀ケ岡からは煮炊きなど日常生活で使われた粗製土器のほか、祭祀や特別な行事に使われたとみられる精製土器が見つかっている。実用には向かない小型の土器も多い。首飾りや腕輪などの装飾品もある。 縄文時代は狩猟採集生活で食料確保に追われるイメージが強いが、晩期になると特別な土器を用意し、装飾品を身に着けるほどの人々が亀ケ岡に住んでいた可能性を示すものだろう。 精巧な土器類を作り出す専門家集団も存在したと考えられる。 亀ケ岡遺跡は周辺部を含め約9万平方メートル、うち史跡指定は3万8800平方メートルという。宅地や農地など民有地が多いのが特徴で、史跡面積の93%を占める。 遺跡の保存や調査には住民の協力が欠かせないが、研究機関や行政は地元と協調して進めてほしい。 2年間にわたる市教委の調査では住居跡のほか、晩期の土坑墓などが、いずれも遺跡周辺部から見つかった。史跡範囲の追加指定を含め、周辺の保存管理にも十分配慮してほしい。 |