| 2008年11月3日(月) |
六十二年前の一九四六年十一月三日は、憲法公布の日。憲法は翌年に施行された。防衛省の田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長は六十歳というから、その直後に生まれたのだろう。 満州事変に始まり太平洋戦争で終わる、十五年戦争とも言われる戦争で、日本は他国に犠牲を強いた。戦死などした国民も多い。加害と被害で命を失う悲惨な過去を猛省し、戦争は二度としない。それが戦後の出発点であり、今も多くの国民の共通認識だろう。 戦後五十年に当たる九五年の村山富市首相(当時)の談話は「わが国は植民地支配と侵略で多大な損害と苦痛を与えた」と述べた。戦後六十年の二〇〇五年、小泉純一郎首相(当時)も「誤った国策に基づく植民地支配と侵略」をわびた。麻生太郎首相もこれらの見解を受け継ぐと表明した。 だが、田母神氏は、過去の中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する論文を発表した。浜田靖一防衛相が「政府見解と違う」と更迭した。当然だが、問題はそれだけでは済まない。 田母神氏の論文は「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬ」とまで言う。太平洋戦争への突入はやむを得なかったと擁護する。憲法が武器使用を制約していることなどへの疑問も投げかけた。 戦後政治の柱である平和憲法や政府の安全保障政策に関する意見はさまざまある。だが、政府の一員で、しかも制服組のトップの人が、政府の考えを真っ向否定する見解の持ち主だったことを論文は示した。あぜんとした。怖いとも思った。 戦時中まであった“軍の暴走”をさせないようにするシビリアンコントロール(文民統制)にもかかわる極めて大きな問題だ。 田母神氏は、イラクでの航空自衛隊の空輸活動は憲法九条違反とした四月の名古屋高裁判決について「現場は『そんなの関係ねえ』という状況だ」と述べた。お笑いタレントの言葉を使い、司法判断を軽視した。 政府は、そんな発言を行った上、特異な論文も書いた人物を空自の統率者にまで昇進させ、据えていたことになる。首相の任命責任が問われるのは必至だ。 それまで付随的だった自衛隊の海外任務が本来任務に格上げされ、イラクに派遣された。防衛庁は省になった。そうした流れが防衛省や自衛隊の内部の戦争観を変えつつあるのではないか、ととても心配になる。 政府は、海自特殊部隊の三等海曹死亡事件など不祥事が続く状況も踏まえ、自衛隊の体質に問題はないか厳しく洗い直すべきだ。 野党は、インド洋での海自による給油活動を続けようとする新テロ対策特別措置法改正案の参院での審議で、論文問題を追及する構えだ。政府、与党が目指す同案の早期成立は難しくなったとの見方がある。 政府は、論文は個人的な見解であり、政府見解は従来通りであると中国、韓国に説明した。両国の批判は比較的抑制的だが、十月下旬に両国首脳と会談した首相のアジア外交に影を落とす可能性もある。 そんな影響とともに、憲法公布の日にあたり、「非戦」を固く誓った戦後の歩みを振り返りながら、論文問題の意味を考えたい。 |