Web東奥・社説20030817
  
2003年8月17日(日) 東奥日報 社説



■ 今を問う二つの負の風景

 三万二千百四十三人と三十二人−。はて何のことか、といぶかる向きもあろうが、いずれも自ら命を絶った人たちの数である。

 前者は、このほど警察庁がまとめた昨年一年間の自殺者だ。後者は、同庁が確認した今年上半期の「ネット自殺」である。

 年間の自殺者は五年連続で三万人を超えた。とりわけ昨年目立ったのは経済・生活問題が原因の自殺で、八千人近くに達した。

 その多くは五十代、四十代の働き盛りだ。追い詰められた末の無念の死ではなかろうか。この世代の孤影の深さを思わずにはいられない。

 インターネットを通じて出会った見知らぬ人同士が練炭などを使って自殺するネット心中は、今年に入り際立つ。若い世代を中心にした新しい死の形なのか。

 そこでは一見、軽々と死の側に飛び越えているふうだ。なぜ、という問いの先には不可解な風景が広がる。あらかじめ失われた生、とでも言うべき感覚が、彼らをとらえているのだろうか。

 八月は戦争で散った人たちを悼み、祖霊を迎えて送る日が続く。そうした死者たちとの静かな対話の時だろう。その一方で、平時の中におびただしい死を呼び込む、泡立つ現実にも思いは及ぶ。

 自殺者の周りには、約十倍の未遂の人がいるといわれる。冒頭の数字に再度目を向けたい。家族や友人らの深い痛手を考えれば、その打撃は百万人規模にもなろう。

 個人の内面に安易に立ち入ることはできない。けれど、こうも多くの死が横たわる事実は尋常ではない。国や自治体は、医療や働く環境など、本腰を入れた予防対策に取り組むべきだ。

 同時に家庭や職場で、地域や学校でも、死のサインを見逃さないようにしたい。民間の「いのちの電話」など、相談体制も一層必要だろう。

 昨年の自殺原因で大幅に増えた経済・生活問題では、負債、生活苦、失業が目立つ。不況やリストラが一段と重荷になっているようだ。統計にはないが、ヤミ金融絡みも相当あるとみられている。

 年代別では、六十歳以上の自殺者が一万一千人余りで最も多い。だが、五十代と四十代を合わせると一万三千人を超える。しかも、この層の半数近くは経済・生活問題が原因になっている。

 警察庁の統計では都道府県の実態は不明だが、厚生労働省の昨年の人口動態調査では本県の自殺者は五百三十六人を数える。ここでも、生活苦が大きな要因とみられている。

 自殺率が高い本県は、同じ悩みを抱える秋田、岩手、北海道と連携し予防事業に取り組み始めた。こうした動きが広がることを望みたい。

 追い詰められた死の一方で、数こそ少ないが、問題の根の深さをうかがわせるのはネット自殺だ。今年上半期以降も増えている。

 ネットで知り合った若い男女が三人以上で死を選ぶ。一人ではない。二人でもない。そのさまを、どうみればいいのだろう。

 死の怖さを「疑似家族」や「場の空気」という形で、踏み越えてしまったのか。生きることに実感がない分、死にも現実感がないということなのか。

 こうした現象は一過性の流行だろうか。生きる実感を持てないでいる若者たちのさまざまな行動を考え合わせれば、ことは単純ではないような気がする。

 働き盛りと若い世代の一見、懸け離れた自殺の姿だが、根は同じ現実にある。外も内もきつさを増す今という時代だろう。

 武につながる国益論が声高だ。けれど国の柱は人ではないか。そこを抜かして何の国益か。負の風景のかなたから、そう問う無量の声が聞こえるようだ。


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