• トップ
  • >
  • 社説のバックナンバー
  • 2015年7月6日(月)

立憲主義軽視 看過できず/安倍首相の憲法観

 安倍政権が昨年7月1日、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしてから1年余りがたった。政府は今年5月、安全保障関連法案を国会に提出、衆院平和安全法制特別委員会で審議が行われてきた。

 しかし、国会審議を重ねても法案に対する国民の理解は深まっていない。それどころか衆院憲法審査会で憲法学者3人全員が法案を「違憲」と指摘したことをきっかけに、集団的自衛権の行使容認の合憲性があらためて主要な争点となっている。

 国会での議論はかみ合っておらず、その背景には国際情勢の変化に応じて憲法解釈を変えてもいいとする安倍晋三首相の考えがある。

 首相は6月18日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使に関する考えを問われ、「国際情勢に目をつぶり、従来の解釈に固執するのは政治家としての責任放棄だ」と主張した。逆に読めば、状況の変化によって憲法解釈を変えるのが政治家の責任だということになる。

 だが、この理屈を肯定すると、状況変化を理由にすれば時々の内閣が解釈を自由に変更できることになりかねず、最高法規としての憲法の規範性が揺らぐことになる。憲法で国家権力を縛るという立憲主義が民主主義国家で採用されているのはそのためだ。

 このような首相の主張は特異な憲法観に支えられているようだ。2013年4月の参院予算委員会で安倍首相は次のように答弁している。

 「憲法というのは、権力者の手を縛る、為政者に対して制限を加えるという側面もあるが、実際は自由民主主義、基本的な人権が定着している今日、王制時代とは違うから、国の理想やかたちを示すものでもある」

 さらにその年末に出版した作家の百田尚樹氏との共著では立憲主義について「ある意味、古色蒼然とした考え方」と指摘している。また、解釈変更について首相は昨年6月の記者会見で「行政権は、内閣に属する」と規定している憲法65条を論拠に「行政権を執行するために憲法を適正に解釈していくことは当然のことだ」と強調している。

 一連の発言から浮かび上がるのは、そもそも立っている考え方の土俵が違っているのではないか、という懸念だ。憲法や立憲主義に関する安倍首相の認識の特異性を見過ごすわけにはいかない。

モバイルサイトのご案内

広告掲載のご案内