2010年3月15日(月) 東奥日報  

田邊優貴子の南極だより

■ 「わたしが出会った南極の自然と生命」=終わり=

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真上に輝く南十字星と舞うオーロラ

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最後の野外調査を終えて笑顔の田邊隊員

 早いもので、あと1週間でとうとうオーストラリアのシドニーに到着します。しかし、まだ船は南極海の上。南十字星が頭上に輝き、オーロラが静かに舞っています。周りにこんな世界が広がっているからでしょうか、もうすぐ帰国なんて全く実感が湧(わ)きません。

 11月に日本を旅立ってもうすぐ4カ月。出発したころが、遠い昔のような気さえしています。

 南極の夏はとても短く、1年の中で私が南極で過ごした時間はわずかです。けれど、その間には幾つもの自然の物語が繰り広げられました。ペンギンやユキドリの卵からはヒナが生まれ、氷の割れる音がドーンと響き渡り、水の流れる音が一気に聞こえだす。

 陸上の植物たちは青々とみずみずしくつやめき、湖ではボートのオールから水面にこぼれる水の粒がまるで楽しそうにはしゃいでいるかのよう。空には一日中太陽が回り続ける。

 そんなにぎやかな時間もつかの間、水の流れは急速に止まり、キンと音をたてて海も湖も静かに凍り始める。ヒナたちは大きく育ち、北へ向かう旅につく。暗い夜の闇が訪れ、星々が輝きを取り戻す。短い期間でも、巡る季節をこんなにもはっきりと感じることができました。

 そしてそれは、日本で感じているよりもずっと劇的で、まるで閃光(せんこう)のような一瞬の煌(きら)めきを持っているように思うのです。

 南極という場所は、私たち人間にとってあまりにも遠くかけ離れた存在です。広大で人間を拒絶するかのような厳しさとともに、透明で生命の輝きにあふれた温かさと包容力をも持った南極の大きな自然は、私たちの日常からははるか遠いものにすぎません。

 けれど、どこか頭の片隅で、南極の自然が今同じ瞬間にもそこに存在しているということを想像したり、ふと気配を感じるだけで、その人の世界が大きな広がりを持つのだと思います。

 まだ子どものころに、テレビか何か定かではありませんが、アラスカかシベリアの映像と写真を見て鮮烈な印象を持ったことを、今でも覚えています。私にとって、それが根底にあり、大きな原動力になったのかもしれません。

 4カ月間にわたって不定期に連載してきた「田邊優貴子の南極だより」も、ついにこれで最終回です。もしもこの南極だよりが、誰かにとってほんの少しでも何かのきっかけや力になれば、それほど素晴らしいことはないでしょう。

(2010年3月10日、南緯58度東経150度、オーロラ舞う南極海にて)






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