45
鰺ヶ沢の過去を伝え、未来を描き、
現在を魅力的にPRする

■高まる観光振興の重要性
写真
杉澤 廉晴氏
一般社団法人 鰺ヶ沢町観光協会
会長
1973年、東京都生まれ。91年、青森高校卒。99年、北海道医療大学歯学部卒業、歯科医師免許取得。2002年、ホテルグランメール山海荘や水軍の宿を経営する㈱杉澤興業常務取締役に就任。07年、北海道大学大学院社会医学専攻博士課程修了、博士(医学)号取得。10年より同社代表取締役社長。09年、鰺ヶ沢町観光協会会長に就任。青森県教育委員会委員、青森県観光誘致協議会会長(東北観光推進機構青森支部長)ほか公職多数。

----鰺ヶ沢町観光協会は、「キャンドルナイト」や「汽車コン」、「雪室りんご」などユニークな活動が目立ちます。どのような思いで町活性化に取り組まれているのでしょうか。

 地方創生が叫ばれるようになり、観光の重要性がますます脚光を浴びています。青森県でも、地方創生に向けた指標の中の1つとして、延べ宿泊者数を550万人にもっていくということをうたっており、さまざまな産業がある中でも特に観光の重要性が高まっていると感じています。一般的に、国内からの宿泊客なら22人、日帰り客なら77人、海外からの宿泊客なら7人の入り込みがあると、近似値として定住人口が1人増えたのと同じくらいの経済効果があるといわれています。このように観光というのは、地域への経済効果という面で非常に重要ですし、文化的にも、交流による文化の育成などの効果ももっています。

 私は、観光協会会長になってから、「ルート101観光連絡協議会」に参加し、深浦町と秋田県の八峰町との連携をより強めるよう努めてきました。もともと深浦町観光協会の事業計画の中に「八峰町観光協会との連携」という項目がありましたので、隣の鰺ヶ沢もぜひと加えてもらったのですが、以来6年にわたり、深浦町、八峰町、鰺ヶ沢町でいろいろな連携をしながら、人脈づくり、商品づくりに取り組んできました。「キャンドルナイト」も、「汽車コン」も「雪室りんご」も私が言い出したわけでなく、この交流の中でそれぞれの担当者の発案で始まったものです。会長の私としては、「まずは、この町で、観光で成功したいね」とか、「そのためには、入り込み数、宿泊者数、観光消費額をこれだけ伸ばしていきましょう」「それも地元の人が楽しみながらやっていきましょう」といった舵取りと、人脈をつないでいくことが役割だと考えています。

----観光協会は、町の大きな観光資源である白神の森遊山道の指定管理者でもあります。現在、土砂崩れにより赤石渓流線が通行止めとなっていますが、今後の活用方向など観光振興面での白神山地についてのお考えをお聞かせください。

 「白神の森遊山道」は一昨年まで「ミニ白神」という名称でしたが、その名前のイメージから、女性がハイヒールで来てしまったり、また、来てみたら全然「ミニ」じゃなくて素晴らしいよ、といった声を多くいただいていました。そこで数年前から名称変更が検討され、観光協会でさまざまな方の意見を聞きながら「白神の森遊山道」と命名しました。赤石渓流線の土砂崩れの影響は確かにあります。赤石川で金アユの釣りを楽しむ人や、あのルートで白神山地に登る人には大きな痛手となっています。ただ、白神山地というのは、もともと崩れる山なのです。それが当たり前だと思っています。ただ悲観しているのではなく、世界自然遺産と共生していることの意義をもう一度見つめ直す、重要な機会になったのではないかととらえています。ですから今後は、無理にでも早く復旧しなければならないというよりは、誰が見ても納得できる形で改善するということを考えていきたいと思います。

■豊富な資源を誇りをもってPR

----白八幡宮大祭保存会の会長も務めていらっしゃいます。歴史資源の観光への活用についてはどのようにお考えですか。

 白八幡宮の大祭は、約340年前から続いているもので、これが残ってきた背景には、町村合併の際に、旧鰺ヶ沢町だけでなく、合併後の新鰺ヶ沢町全体のお祭りとしてやっていこうという意気込みでいろいろな方の協力を得ながら保存されてきたという経緯があります。それで町の観光協会会長として保存会の会長を務めさせていただいています。京都よりもたらされ、「津軽の京まつり」として4年に1度開催される由緒ある祭りですが、観光資源であるとともに、町の歴史を伝えるものであり、ふるさとへの誇りという意味でも大切にしていかなければならないと考えています。

 また鰺ヶ沢町は、歴史的には、津軽藩発祥の地という大きな資源をもっています。もともと久慈南部氏が安東氏を倒すためにこの地に居を構えたことに始まるわけですが、地元には「安東水軍」というお酒もあるように、鰺ヶ沢の地では、安東一族と久慈南部一族が結構仲良く共存していた歴史もあると聞いています。それぞれ歴史上重要な一族ですから、鰺ヶ沢は、安東、久慈南部とそこから発祥した津軽氏、両方の歴史を伝える役目をもっていると思います。

 観光でいちばん重要なのは、その土地の成り立ちなど過去のストーリーを体感できること、また、これからこの町はどうなっていくのかというビジョンを想定できること、そして、その過去と未来とを結ぶ現在を魅力的に伝えていくことだと思います。この土地に暮らす人が地元に対してもっている誇りをどんどんPRしていくこと、それが観光振興に携わる者の仕事だと考えています。町が有する多くの特産品についても、ひとつひとつの産品の単価が上がって売り上げが伸びて、農業、漁業に携わる方たちの収入が増えなければ、地域全体としての経済効果が生まれません。農産物でも海産物でも、「これは素晴らしいものです」「私たちの誇りです」という気持ちでPRしていくことが大切だと思っています。こうした考えで、現在、3観光協会で目標となる数値をまとめるとともに、宿泊施設、JTBさんやリクルートじゃらんさんなどと将来ビジョンについて協議を進めているところです。

----青森県では、冬の観光振興が課題となっています。この点についてはどのようなメニューづくりに取り組まれているのでしょう。

 冬の観光では、やはり、雪自体を楽しんでいただくメニューの充実を図ることが重要だと思います。定番の五能線や津軽鉄道ストーブ列車はさらに進化させたいですし、地吹雪体験ツアーは全県的に広げていこうという動きがありますので、鰺ヶ沢版をつくる意気込みで積極的に取り組んでいます。また、食の分野では、今年の冬から活ヤリイカを商品化しようと現在準備を進めています。今後は、鰺ヶ沢のこの店に行けば活ヤリイカが食べられるというイメージを浸透させていきたいと思っています。鰺ヶ沢のヤリイカ生産量は多いですから、これをもっと活用していきたいですし、現在すでにあるハタハタ、寒ヒラメなど、冬の素材をもっと磨き上げ、観光資源に育てていきたいと思います。

 今後の冬場の主たるマーケットとしては、台湾を中心としたアジアからのインバウンド(訪日外国人旅行)が大きな柱になっていくと思います。雪の足踏みアート、弘前城雪灯籠まつり、十和田湖冬物語など県内の冬のイベントと連携しながら、鰺ヶ沢まで足を運んでいただく仕組みを確立することが重要でしょう。

----その他、町の観光振興全体についての抱負や展望などお聞かせください。

 鰺ヶ沢町には、「わさお」と舞の海秀平さんという2人の観光大使がいますが、これは本当に恵まれていることだと感じています。わさおは年間15万人の集客力があり、鰺ヶ沢あるいは白神山地に行こうとなるとなんとなく漠然としますが、そこに「そうだ、わさおに会える」ということが加わることで、来町の大きなモチベーションになっていると思います。舞の海さんも、私は実際お会いしに東京に行きましたが、「全国で何件ぐらい、観光大使をやられていますか」とお聞きしたら、一切やっていないと。「いつか故郷の鰺ヶ沢町からオファーが来たときのために、よそはお断りしてきました」とおっしゃってくださいました。今後は、2人の観光大使に感謝しながら、わさおはもっと前面に打ち出し、舞の海さんの関連グッズなどもどんどん増やしていければと考えています。ちょうど地方創生の考え方ともマッチしますから、県の施策どおり、鰺ヶ沢の強みを押し出して、そこを伸ばしながら人口減少対策にチャレンジしていきたいと思います。

 観光客については、東日本大震災後やはり大きな打撃がありましたが、その中でも、私たちはぶれずにルート101の3町連携と将来ビジョンづくりの取り組みを進めてきました。おかげさまで去年あたりから回復基調となり始め、今年は今のところ震災前に近い水準で推移しています。「いろいろやっているけれど本当に効果があるの」という声もあると思いますが、実数としてこうした結果が出てきましたので、これを励みに、今後もぶれずにこの取り組みを継続していきたいと思います。