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農家や商店街を元気に!
地域を応援する企業でありたい

■おいしくて農家の所得につながる製品を
写真
須藤勝利氏
株式会社 Growth
代表取締役
1976年、八戸市生まれ。八戸工業高校卒業後に上京、アパレルのセレクトショップに勤務しながら、DJとしても活動。2003年に帰郷し、三沢市の人材派遣会社に入社。地元農家や市職員とともに三沢市の特産品開発に取り組む。11年4月、株式会社 Growthを設立。「青森ごぼう茶」の製造販売を手掛ける(三沢市内では「みさわごぼう茶」として販売)。13年、「ソーシャルアントレプレナー大賞」を受賞。

----御社の事業には、農家の支援や商店街の活性化など地元への愛着が感じられます。起業のきっかけと企業理念についてお話しください。

 県の雇用促進事業で三沢市の企業に実習生として派遣されている時、市の特産品開発会議に参加させてもらい、日本一のゴボウ生産量を誇る青森県の中でも、三沢市の生産量が第一位であることを知りました。私はもともとハーブティーが好きで、ごぼう茶というものがあるのは知っていましたので、せっかく日本一のゴボウがあるのだから、安心安全でおいしい三沢のゴボウを使ってごぼう茶を作れないかと思いました。それまで海外から購入したものはあまりおいしくなかったので、おいしいものを作れば需要はあるのではないかと思いましたし、三沢は米軍基地もあってハーブティーのイメージも合っていると考えました。

 そこで、市の加工場で行われていたごぼう茶作りに加えていただき、農家の人と仕事が終わってから夜に集まって試作を繰り返しました。市の地産地消フェアなどで発表も行い、徐々にごぼう茶というものの存在を知ってもらえるようになりましたが、ちょうどその頃、テレビ番組をきっかけに、健康食品としてごぼう茶が全国的に注目されます。そこで三沢市として本格的に販売しようということになり、街の駅などで通年販売を始めたのです。これに伴い本格的に製造販売を行う会社が募集され、私にも声をかけてもらいました。

 ただ、起業となると、自分にできるのか不安で、決意するまでは時間がかかりました。そんな時、ゴボウ農家の人と話していて、皆さん、自分の仕事に誇りをもっておられるのですが、それでも子どもには継がせたくないと話されたのが心に残りました。ゴボウの価格は年々下がっていて、儲からないから子どもが継ぎたいと言っても断っているというのです。この現状はなんとかならないかと思いました。調べてみると、日本一の生産量を誇る三沢市のゴボウですが、毎年2割から3割は端物として市場に出されず捨てられています。試作中のごぼう茶はこうした端物を使っていましたから、ごぼう茶が売れて、原料として端物をどんどん購入できれば、農家の所得を増やすことにつながると思いました。そうした面から農家を応援できるなら、やってみようと考えて会社設立を決意しました。

 加工場の建設に当たっては、ぜひ三沢市の中心商店街でやりたいと思いました。私は八戸市の出身ですが、昔、DJの活動などで全国を回っていて、たまに八戸に帰ると、八戸の街は他の地方都市と比べてもとても活気があると感じていました。後になぜだろうかと考えた時、八戸は、とにかく街に関わる人が多いことに気づいたのです。街なかで働く人がたくさんいて、ちょっと買い物をするのも、食事をするのも街なかです。それが活気を生んでいる。街の活気というのは、そこに関わる人がいかに多いかで決まるのだと思いました。三沢市の中心商店街はシャッターの降りた店が目立っていましたので、なんとかここに工場をつくり、最初は小さくても、この会社が続いて大きくなっていけば、街に関わる人を増やすことができる。それで、商店街の空き店舗を利用して加工場をつくることにしました。

----障害者雇用も積極的に行われています。

 八戸に帰って来た頃、昔からの友人たちの多くが何らかの地域貢献活動をしていることを知りました。一方、私はDJで夜の仕事をしていましたので、なんとなく社会に貢献していないという気がしていました。自分にも何かできないかと考えて、とりあえず仲間と街のゴミ拾いを始めました。また、八戸ではせっかくいいお店ができても長く続かないのを見ていて、少しでも売り上げに貢献したいと思いましたので、ゴミ拾いをして帰りに気に入ったお店でみんなでランチを食べるという活動をしていました。そんな時、たまたま車椅子の人が「何をしているの?」と声をかけてくださったのです。その後、その人は毎回参加してくれるようになったのですが、話を聞いてみて、障害のある人は、何か負い目のようなものをもって生きているということを知りました。働けないから家族に助けてもらっている、何をするにも周囲の人に手伝ってもらわないとできない、そういうことでいつも人に迷惑をかけているという意識をもっている。だから、少しでも恩返しがしたくてこの活動に参加したというのです。また、障害をもつ人の親御さんたちが、自分が亡くなった後、子どもが一人で生きて行けるのか、非常に心配しているということも知りました。

 その時は、安易な慰めになるのも嫌で、どういう言葉をかけていいのか分かりませんでしたが、会社を設立することになったとき、ぜひ障害のある人に働いてもらいたいと思いました。例えば、高いところの物は取れなくていい、重い物は持てなくていい。私から見てできるだろうと思うことをお願いして、できることの範囲では責任をもってもらう。そういう姿勢で実習生から始めてもらい、現在は2人が正社員として働いています。1人はうちの会社でも一番のベテランで、私は、いずれは工場長になってほしいと思っています。製造現場のことは一番よく知っている、この人がいなければ生産能力が落ちる、そういう存在になってほしいのです。そうなることで、それに応じた賃金もしっかりと払えますし、責任ある立場になることで本人の自信にもなり、自立していける力がつくのではないかと考えています。

■青森県の観光大使のつもりで

----今後の事業展開への抱負、三沢市や青森県の活性化への思いなどをお聞かせください。

 以前は、日本のおいしくて安全なゴボウで作ったハーブティーとして、お茶の文化が定着している海外に浸透させたいと思っていました。一時的にごぼう茶がブームとなりましたが、洋服業界にいましたので、流行はいずれ終わることはよく分かっていました。特にお茶の流行というのは非常に短いのです。一過性で終わると思っていましたので、まずは海外で販売実績を作って、日本に逆輸入させるような戦略がいいかな、と考えていたのです。

 今は、ごぼう茶を日本に文化として根付かせたいという気持ちが強くなりました。健康志向が定着して、当初想定していた女性の購買層に加えて、日常使いとして男性にも浸透しつつあります。日常使いでも、またはお店でちょっとぜいたくに味わうものとしてでもどちらでもいいのですが、お茶と言えば、緑茶、ウーロン茶、ごぼう茶と、すぐ名前があがるような存在になればいいなと思っています。

 会社も4年目に入り、まだ本当に軌道に乗ったかどうかは分かりませんが、今は100年、1000年続く企業の土台を作りたいという思いでやっています。そして、これまでさまざまな人に応援していただいて事業を続けてきましたので、私も微力でも地元でがんばっている人たちを応援していきたい。私が最初に気づいた課題が三沢のゴボウ農家のことでしたが、青森県のゴボウ農家は同じような悩みを抱えているでしょう。会社が成長すれば、事業所も県内各地に広げて、各地の農家さんの役に立てるかもしれません。また自分たちも成長して、会社に人材が育っていけば、ゴボウ農家のことだけでなく、新たな地域の課題に気づくかもしれない。地元のさまざまな課題に対応する部署がいくつもあって、ごぼう茶の製造販売もその一つである、そういう形が理想です。それぐらい広範に地域の課題に取り組める会社にしていきたいと思っています。

 営業で全国を回っていて本当に強く感じるのは、「青森の人だから」「青森のものだから」信用してもらえるという面が強いことです。「どこの商品なの?」と言われて、「青森です」というと、「じゃあ買うよ」という人が実に多いのです。出稼ぎ等で県外に出た青森の先輩方が、「正直」「真面目」「信用できる」といった印象を全国に残してくれている。ですから私は今、先輩方が作ってくれた青森のイメージにのっかって仕事をやらせてもらっていると思っています。東京にいた頃は洋服を売る仕事でしたので、「青森のもの」を売るということは全くありませんでした。今は「め~ど~in青森」として青森の名前を背負って全国を回っていることを強く意識しています。初めは単にPRや、百貨店さんとのパイプをつくるつもりで行っていたのですが、ある時から目的が変わってきて、勝手に青森県の観光大使のようなつもりになっています。たとえ買ってもらえなくても、気持ちのいい対応をして、「青森の人っていい人だね」と言ってもらえるようにしたい。先輩方が築いた青森のよいイメージを崩さず、よりよいものにしていく努力をすることで、自分もさらに成長できるのではないかと思っています。