29
徹底した品質管理で
村の経済と雇用を支える

■村最大の雇用の場
写真
田中 定利氏
株式会社 蓬田紳装
専務取締役
1927年、熊本県生まれ。復員後、警察予備隊を経て陸上自衛隊入隊。八戸、岩手駐屯地所属の後、73年、青森駐屯地勤務。77年、自衛隊を定年退職。蓬田紳装設立時、工場長を務める。81年、同社専務取締役に就任。2010年に辞職したものの4年後に復帰。

----御社の設立経緯や業務内容について教えてください。

 当社は、1977年3月、蓬田村と小樽市の紳士服メーカーの共同出資により設立された第三セクターの紳士服製造会社です。当時の坂本大博村長の「雇用の場をつくり若者の定着を図りたい」との強い思いが、歴代の村長、議会に受け継がれ、現在は、社員・パート合わせて240名を抱える村最大の雇用の場となっています。雇用の内訳は、蓬田村内から106名、青森市91名、外ケ浜町26名、今別町17名で、このうち200名が女性です。

 一般にイージーオーダースーツは、職人が採寸して、型紙を作ってと、非常に手間がかかるため高価なものになります。小樽市のメーカーは当時、これをコンピューターで設計し、レーザーで裁断、接着加工することで低コスト化を図り、既製品並みの価格で提供して業績を伸ばしていました。北海道に10の工場を展開しており、蓬田紳装は11番目、本州で最初の工場として設立されました。発足時は社員45名、村内の若い女性たちを集めて、小学校だった村内の施設にミシンを整備して基礎訓練から始めました。20名ほどずつ、それぞれ3週間の訓練を行い、工場が完成するとすぐにこちらに移動して、いよいよ服作りがスタートしました。私自身、陸上自衛隊を退職後、工場長に推薦していただき、小樽の本社で研修を受けましたが、見るもの聞くもの初めてのものばかりで、それこそチンプンカンプン、就業規則などは先輩工場のものを丸写しで作成したような次第でした。

 もとより、そんな短い期間の訓練で商品になる紳士服を作れるものではありません。しばらくは苦しい経営が続きました。また、その後、同業の縫製工場が乱立し、さらにグローバル化に伴い中国などとのコスト競争の時代となり、縫製工場の倒産が相次ぎました。わが社も、設立4年後に本社が倒産、会社更生法により工場の整理が行われましたが、蓬田紳装は小樽工場とともに存続されることになりました。会社を建て直すうえで、本州にも工場があったほうがよいとの判断があったのだと思います。当然、経営内容は最悪でしたが、村長をはじめ村議会の皆さんの「村のために、なんとしてもこの会社を存続させなくてはならない」という強い思いに支えられ、並々ならぬバックアップのおかげで、なんとか存続することができました。

 その後、「ミユキ販売株式会社」の高級イージーオーダー製造の主力受注工場として再出発し、バブル期を通して受注は順調に伸び、過去の負債を返済しながら、社員数もしだいに増やしてきました。平成11年、それまではスーツの上着のみ生産していましたが、スラックスも含めて、受注、裁断、縫製、発送まで行う一貫生産工場にしたいと主力受注先からの意向がありました。やはりスーツの消費地の中心は首都圏など大都市圏ですので、東京で注文を受けて、小樽で裁断した生地をフェリーで輸送して蓬田で仕立てるというのは非効率です。村としても、雇用が増えるのであればと増資を決定。第二工場と受注、裁断、スラックス製造の設備を整備し現在に至っています。現在の村の出資割合は90%。関東・関西方面の洋服販売会社との取り引きを中心に全国展開しており、一日当たり230から260着を生産しています。ここ5年間は特に売り上げが伸びており、平成22年3月期決算の5億9900万円から、平成26年3月決算では8億7000万円と、過去最高となりました。

■信頼を勝ち取り、政府要人のスーツも手掛ける

----同業他社が苦戦する中で、業績を伸ばしている要因、強みはどのような点にあるとお考えですか。

 ものづくり企業では、常に徹底した品質管理と生産性向上への努力が求められます。当社では「徹底した品質管理」と「徹底したコミュニケーション」を経営の二本柱としています。240名が心をひとつに、「いかにしたら顧客にご満足いただけるか」という強い使命感をもって仕事に臨んでいます。また、当社は「地域住民の雇用を確保するために設立した企業」です。つまり「社員の、社員による、社員のための工場」であり、社員へ利益を還元していくことが使命です。そのためにも業績を維持、発展、向上させていかなければならず、それを支えるのは品質管理と生産性向上以外あり得ないと考えています。

 こうした取り組みが認められ、10年ほど前から、全国有名百貨店の商品も手掛けるようになりました。百貨店との取り引きは、当然ながら品質、納期など、非常に厳格なチェックがあり、クリアするのは大変です。当初は苦労しましたが、「これをこなさなければわが社は生き残れない」との思いで、社員一同、本当にがんばりました。なんとか信頼を勝ち取り、現在も取り引きを続けていますが、「百貨店オーダー紳士服売り場の厳しい条件をクリアできる工場」ということで信頼を得て、他社からの注文も増えてきました。これが近年の売り上げの増加につながっていると思います。

 また、この業界は、人件費の安い海外工場との競争が激しいですが、当社の製品は、イージーオーダースーツですので、既製品に比べて非常に手間もかかりますし、国内生産であることがステータスといいますか、高品質の裏付けのようになっています。何月何日に納めますという約束で作るものですから、なかなか海外の工場ではできません。中国などとのコスト競争の中でも生き残ってこられたのは、イージーオーダーだったからとも言えます。既製品ではこうはいかなかったかもしれません。

----厳しい時期を乗り越え、村最大の雇用の場に成長されたわけですが、今後の展望についてお話ください。

 過去に仕事がない時代もありましたが、これまでの40年近い経験を経て、生産工場としてしっかりしたものづくりさえしていれば、この世にスーツを着る人がいる限り大丈夫だと、自信を持てるまでになりました。工場増設時に金融機関から受けた融資も、今年8月で完済です。よくやってきたな、と感慨深いものがあります。

 先般、青森県では、ほとんどの市町村で20~39歳の女性が激減するという推計が発表されましたが、当社は女性中心の企業ですので、その減少を抑制する役割を果たしていかなければならないと考えています。これまでも女性が働きやすいように、1年単位の変形労働時間制を採用、休みをとりやすくするなどの工夫をしてきました。また、少子高齢化の時代ですので、高齢者も重要な戦力と捉え、早くから65歳定年制度を取り入れています。これらの取り組みが認められ、平成17年には国などによる「高年齢者雇用開発協会会長表彰優秀賞」、19年には厚生労働省から「はたらく母子家庭応援企業」に県内で初めて選ばれています。

 人口3千数百の村で、お金を稼げる240名のプロ集団がいるというのは、たいへん貴重なことだと思います。この一朝一夕ではできない貴重な存在を今後もきちんと存続させていくために、いっそうの品質管理と生産性の向上を追求していきたいと考えています。