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下北全体の観光振興を見据え
仏ケ浦の魅力伝える

■変化する観光形態に対応
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磯川 博氏
仏ケ浦海上観光株式会社
代表取締役
 1940年、函館市生まれ。58年、父の出身地である佐井村に移住。漁業のかたわら家業の鮮魚店等に勤務。72年頃より観光船事業に従事。81年、仏ケ浦海上観光設立。83年、代表に就任。団体向けレストラン「レストいそ川」も経営。長年、佐井村観光協会副会長を務める。

----仏ケ浦を訪れる観光客にとって重要な航路を担っています。事業の概要と沿革を教えてください。

 現在、佐井港と仏ケ浦を結ぶ定期便を一日3便運航しており、仏ケ浦に上陸して散策する30分を含めて1時間30分ほどで往復しています。この他、予約に合わせて臨時便も運航しており、主に4艘の遊覧船でこれらの航路をまかなっています。

 もともとは昭和45年頃に私の父が始めたのですが、当時は仏ケ浦まで道路は通っておらず、海から行くしかありませんでした。商工会が空いている漁船を集めて観光客を案内したのが始まりのようです。父は、普段は漁師や鮮魚店をやりながら、漁師仲間と組んで、ウニ漁などに使う漁船に幌をかけて観光客を運んでいました。観光客の要望があればいつでも船を出せる体制になったのは49年ぐらいだと思いますが、この頃、私が事業を引き継ぎました。57年に観光船らしい船を造り、その後、定期便も運航するようになりました。

----長く仏ケ浦の魅力を伝えてこられたわけですが、この間の観光の推移について教えてください。

 昭和43年に下北半島が国定公園になった頃から観光客が増加し始め、昭和50年代に入ると、下北にユースホステルが多いこともあり、今で言うバックパッカー、当時は「カニ族」と呼ばれた大学生が船に乗り切れないほど訪れました。バブル期まで好調が続き、はじけたときもそれほど大きな影響はありませんでした。平成に入り、東北新幹線の八戸駅開業でまた大きく増加しましたが、その後3年ほどは下降傾向となりました。それから再び増加して、東北新幹線全線開業まで好調でしたが、そこで震災に遭います。陸路で下北を訪れる人は、大半が太平洋側からアクセスされるので、震災で三陸の道路が寸断された影響は大きかったですね。現在、やっと回復傾向にあるという状況です。一方、関西など遠方からの観光客はやはり空路で来られますが、旅客機の小型化の影響が少なからず出ています。仏ケ浦に来るのは80%が団体ツアーで、個人旅行は20%ほどです。現在の旅客機の席数は180ぐらいですので、その数では旅行会社もツアーを組みにくいようです。

 また近年は、マイカーで来られる人が陸路で直接仏ケ浦に向かうことが多くなっています。かつて道路がなかった頃はもちろん、道路ができてからもまだ一部は未舗装の悪路でしたので、仏ケ浦に行くほとんどの人が船を利用しましたが、今は、車で行かれる人がかなり多いです。うちともう一社で一日200人の乗船があったとして、聞いてみると仏ケ浦自体には400人も訪れているということがあります。半分は陸路で来ているということです。限られた旅行時間の中ですから、同じルートを往復するよりは、一周できるコースを選びたいということもあるでしょう。ただ国道の駐車場から海岸までのアクセス道はお年寄りなどには厳しいですから、陸路で来て、行きは歩いたけど帰りは登れないと、急遽、片道だけ船に乗りたいというお客様もけっこういらっしゃいます。反対に、駐車場に車を回しておいて、往路だけ船でという予約もお受けしていますが、「帰りは30分以上、登りですよ」というと驚かれる人も多いです。駐車場からすぐに海岸に出られると思っているんですね。ですから、そうした予約の際には、駐車場からのアクセスについて詳しくご説明するようにしています。

■通年化、周遊できる観光メニューを

----佐井村観光協会の副会長も務められていらっしゃいます。村全体の観光振興の現状や課題についてお話しください。

 佐井村全体の観光については、仏ケ浦がメーンとなっており、他にうに祭りなどもかなりの集客がありますが、時期が決まっているのでどうしても一過性ですし、また、その人たちに村内を周遊してもらえるような材料が足りないというのが現状です。うに祭りに来た人が仏ケ浦まで足を伸ばすことは少ないですし、福浦や矢越の歌舞伎も、時期が決まっていますからウニとセットでは売り込めません。朝から漁に出ている漁師さんたちに、ツアーに合わせて夜は歌舞伎をやってくださいというのも無理な話です。どうしてもそれぞれの観光資源が単発になってしまうというのが佐井の観光振興の課題といえるでしょう。

 また年間を通して売るものがないという課題もあります。現在、観光協会を中心に、冬の仏ケ浦を観光資源にしようという動きがあります。私たちが気づかないアイデアを若い人に出してもらえるのはたいへんよいことで、私も、冬場でも天候の良い日は船を出すことを考えてみましたが、冬はどうしても北西の風をまともに受けるので、就航の約束ができません。1日2日出せないならまだいいですが、悪くなれば1週間も10日もシケが続く。これではツアーには対応できません。また、冬に仏ケ浦に行こうという人は、トレッキングなど歩くこと自体を楽しみたい方たちでしょうから、のんびり遊覧船で見に行こうというのとは、ちょっとニーズが違うだろうとも思います。

 もう一つ、仏ケ浦にも大きく影響しているのは、下北地区にツアーで使える宿泊施設が少ないことです。冬期に観光客が激減するため、どうしても大型施設はつくりにくいのでしょうが、このため、繁忙期にはツアー客の部屋がとりにくい状況となっています。下北で泊まれないとなると、ツアーバスは一カ所でじっくり時間がとれないわけです。とにかく走らなくちゃいけない。下北に来る人にとって目玉はやはり仏ケ浦と恐山、あとは大間のマグロです。津軽方面を回った後、蟹田からむつ湾フェリーで脇野沢に来て、陸路を北上して仏ケ浦、大間、恐山を見るというツアーも増えていますが、この場合も、宿泊は浅虫や三沢ということが多いです。むつ湾フェリーは1日2便で、朝の便で蟹田を出ても、佐井まで来るとお昼になってしまいます。それで夕食の時間に浅虫や三沢の宿に入れるように下北を回るとなると、どうしても仏ケ浦での時間を短縮しなければならない。上陸しなくていいから30分詰めてくれ、または陸路で展望台からだけ、ということも多くなりますが、海上や展望台からでは、それぞれの奇岩の形をじっくりと見ることはできません。そのため、お客様からのクレームもあるようです。また陸路で仏ケ浦まで行ってしまうということは、佐井の中心部は素通りしているわけで、これも村の観光にとっていいことではないでしょう。

 いずれにしても現状は、ツアーに合わせてこちらが時間調整をしてあげないといけない。そのため臨時便の運航が多くなります。定期便だけでまとめてたくさん運べれば、本当は4艘もいらないのですが、今は、全体の7割ほどが臨時便です。4艘フル回転で対応しているというのが実情です。

----最後に、今後の佐井村の観光、御社の事業展開について展望や抱負をお聞かせください。

 今後、佐井を取り巻く大きな環境の変化として、「下北半島縦貫道路」と、北海道新幹線の開通があります。下北内に泊まれない団体客はとにかく時間を短縮したいわけですから、30分ほどの短縮とはいえ、下北道の開通効果は大きいのではないでしょうか。一方、北海道新幹線については、函館まで行った後、フェリーで大間に戻って来て下北を観光するルートのツアーも出始めています。「新青森駅」開業のときは、あそこまで行ってしまえば、観光客はどうしても津軽方面に流れてしまうと思いましたので、ある意味、北海道新幹線には期待しているのですが、間もなく函館と札幌を結ぶ高速道路も全通します。どうやったら函館から先に行かずに、下北に戻ってもらえるかが大きな課題となるでしょう。

 一方、「奥津軽駅(仮称)」ができますので、船で津軽半島と佐井を結ぶことも考えられます。下北半島、津軽半島、北海道を結ぶハブ港の役割を佐井が果たす。そうなれば、観光だけでなく佐井の経済は大きく変わると思います。私もそろそろ息子に事業を任せる時期が近づいていますが、こうした大きな構想も視野に入れながら、佐井村の活性化に協力していきたいと思います。