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地元資本、独自の技術で
首都圏の民間ニーズをつかむ

■戦略的に公共から民間へ転換
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榊 美樹氏
東和電機工業株式会社
代表取締役社長
1951年、弘前市生まれ。民間企業勤務を経て東和電機工業に入社。各部門の責任者を務めた後、1991年、社長に就任。現在、東和電材株式会社をはじめ東和グループ各社の社長を務める。

----東和電材などグループ会社を含めた御社の概要、沿革をご紹介ください。

 戦後、先代である父が弘前で電力会社の工事を請け負う電気工事業を始めたのが当社のスタートです。これからは電気に関わる仕事が伸びるという考えがあったようですが、弘前のような地方では、電気工事に必要な材料がなかなか入手できない。例えば、碍子(がいし)などは瀬戸内から中部地方のメーカーから購入するのですが、首都圏のニーズが多くて地方までは回ってこないのです。そこで自ら資材を買い付けに行かなければならないのですが、そうなると自分で必要な分だけ買ってくるより、大量に仕入れたほうが割安です。それで大量に仕入れて、同業者に安く分ける仲間売りを始めるようになります。徐々に、工事よりもこの販売のほうが主になってきて、1956年に東和電材という資材販売会社を設立することになります。

 当時、電気工事の主要な材料というのは、照明器具と配電盤でした。東和電材は名古屋のメーカーからそれらを買っていたのですが、やはり遠方ということもあり、納期や仕様の変更などでお客様にご迷惑をおかけすることもありました。それでは自社で作ろうということで、メーカーの指導を受けながら配電盤を作るようになります。初めは東和電材の製造部門という形でしたが、販売と製造となると労務環境なども違ってきますので、1973年に製造部門を独立させ、東和電機工業を設立しました。

----配電盤というのは、一般の消費者にはあまりなじみのない製品です。どんなところに納入されているのでしょうか。

 現在、首都圏が7割を占めています。みなさんがご存知のところでは、東京都庁、東京ドーム、赤坂サカスとTBS、汐留の日本テレビ、電通、共同通信、あと丸の内の再開発地区のビルはほとんどうちの製品が入っています。とはいっても、小さな企業がたくさんある業界ですので、全国でのシェアは2~3%ぐらいだと思います。

----地元の資本、独自の技術で、首都圏でこれだけの仕事をしている地方企業というのは少ないと思います。成功の秘訣はどんなことだったのでしょう。

 基本的には人ですね。社員の技術レベルの高さ。それと人柄も大きいと思います。青森県人が持っている実直さ、朴訥であまり調子のいいことは言わないけれど、きちんとした仕事をするという資質。技術者というのはそういう人を買うんですね。あまり調子のいいことを言う人は好まれないのです。

 もう一つは、官から民への転換と、同時に首都圏に進出した戦略だと思います。官公庁の仕事だけでやっていけるなら、東北から出ずに安定した仕事だけをやっていればいいのですが、それが現在のように激減することはかなり以前から予測していました。民間へ移行となると、東北はやはり市場が小さいですから、民間へシフトするには首都圏への進出が不可欠です。「マンハッタン計画」と呼ばれた丸の内の再開発が進むことは、25年ぐらい前に分かっていましたので、そこに照準を合わせ進出を進めました。丸の内は三菱地所の主導で進められたものですが、現在の工場の設計を三菱地所に依頼するなど、戦略的に、中央との人脈をつくり、進出の足がかりを築いてきました。

----これだけの規模の工場の立地は地元にも大きなメリットがあると思います。もともと弘前にあった工場は、どういった経緯で現在の場所に移転されたのでしょう。

 私が父の跡を継いで社長に就任した頃、東和グループは、急速な事業拡大に伴いさまざまなひずみが生じている時期でした。首都圏に進出して競争が激しくなる中、経営の合理化を進める必要があり、事業を整理して再編成しましたが、工場移転もその合理化の中で計画したものです。弘前の金属団地にあった工場は、これ以上拡張できない状況にあったため、低コスト化が図れないという判断をしました。そこで10カ年計画をつくり、10年の間に工場を建てられるぐらいの利益を蓄積しようということでやってきて、2001年に移転しました。

 場所については、初めは弘前市で探したのですが、当時は市内に3万坪という敷地はありませんでした。そんな中、当時の常盤村長から、減反政策もあり、この場所を工業団地として整備するので来てくれないか、というお話をいただきました。誘致企業として立地したわけですが、地元からの雇用は増えていますし、社員が藤崎町に住宅を購入するといった面でも、地域に貢献できているのではないでしょうか。当社は、東京をはじめ関東各地と仙台に支店がありますが、9割は青森採用、現地採用は1割程度としています。

----地方にいることのデメリットもあると思います。

 高速交通体系が整っていますので、時間的にはあまり不便さは感じません。ただそれに対するコストはやはりかかります。今のように輸送にかかる燃料費が上がってくるとやはり厳しいですね。あとは、こちらから首都圏に社員を連れて行くわけですから、福利厚生関係の費用はかかります。

■産学官連携にも積極的に参加

----配電盤とは別に、非破壊型光センサー糖度計「アマミール」など、地場産業と密着した製品の製造も行っています。

 初めは、地元の企業からの依頼で、タケノコやリンゴの皮むき芯抜き機、製麺機なども作っていました。こういうビジネスは、個別生産で、市場に展開していくものではありませんからもうかりません。ただ、ニーズがあるなら、同じ地元企業としてうちの技術を提供します、という姿勢でやってきました。この機械を作ることは他ではできないですから、うちにしかできない技術提供という形で地域貢献をしていきたいと考えています。

 アマミールは、いわゆる産学官連携の取り組みで生まれた商品です。官の研究機関の新技術を基に、商品化まで研究開発に携わるスタッフと資金を民が出す、これが産学官連携の基本システムです。結果的に商品化できて、それが売れるところまでいけば一番いいですが、そうならなくても、連携で生まれた技術は、次の商品開発につながります。またうちにとっても新分野の技術が蓄積できるメリットがあります。

 一番初めに参画した産学官連携は、東北大と組んだ安定化電源装置の開発でした。これは結果的に市場展開できませんでしたが、こうした取り組みを見て、県が産学官連携を打診してきたのです。それで始まったのがアマミールの開発です。産学官連携の狙いは、創業や新商品の開発を促して地域を活性化しようということですから、県産品の生産に役立つものが一番考えやすい。アマミールは、リンゴのために開発したものですが、今、一番売れているのはトマト用です。ソフトを入れ替えることでリンゴ以外のものにも応用できるのですが、トマトの生産者は、全国的に、独自の努力で商品として差別化できるトマトを生産していこうという意識が非常に強いと感じます。そこでアマミールが活用されています。青森のリンゴ生産者の方にもそういう動きがもっと出てくればいいなと思います。

 アマミールで蓄積した光センサー技術を応用して、有害な木材を瞬時に判別する携帯型CCA木材判別装置ウッドスキャンや血糖値測定器を製品化しました。現在、糖尿病の潜在患者は国内で700万人と言われています。現状、血糖値の測定は、指先に針を刺して採血して行っています。それも定期的に何回もやらなくてはいけません。若年の患者も多いですから、光を当てるだけで血糖値を計ることができれば、ストレスを和らげることができるでしょう。現在、商品化に向けて、より精度を高めるための研究を続けています。また同じく医療分野で、麻酔の深度を計る機器の開発も進めています。ぜひ商品化までこぎ着け、地方でも医療機器まで作れるということを世の中に示してみたいですね。

----社会人リーグのラインメール青森の代表を務めていらっしゃいます。どういった経緯でサッカーに関わられたのでしょう。

 55歳を過ぎてから、何か事業のマネジメント以外のものに取り組みたいという意識が芽生えてきました。それで、思いあたったのがサッカーでした。私は学生時代からサッカーをやっていまして、就職して最初の勤務地だった静岡で社会人リーグにも参加したのですが、当時は、青森のサッカーレベルでは全く通用しませんでした。大人と子どもみたいなものです。そうした経験を通して、青森に帰ってきてからは、地域のサッカーの普及、レベルアップのために何かお手伝いしたいと思い、県体協の企画をスポンサードしてJリーグのチームを招待するといった活動を行ってきました。徐々に青森のサッカーのレベルや人気も上がってきて、もっと強化して、Jリーグを目指すようなチームを作ろうという動きが出てきたのです。青森には全国制覇するような高校のチームがあるのに選手が一人もここに残らない。これはもったいない。プロや有名大学に引っ張られるような選手は無理ですが、その次のクラスの選手の受け皿、また、青森出身で、全国で活躍した人たちが、監督やコーチとして戻って来られる受け皿を作ろうということで始めたわけです。当初は青森県リーグで青森、弘前、八戸のトップチームが競って、東北リーグ昇格を目指しました。これは全チームとも達成して、現在、ラインメール青森FC、ブランデュー弘前FC、ヴァンラーレ八戸FCの3チームがそれぞれJ3を目指して頑張っています。

 企業人というのは、単に事業で収益を上げることだけでは、自己完結できないのではないでしょうか。地元のために何かしたくなる。J3昇格は大きな目標ですが、いつか実現できるように支援を続けていきたいです。